2011年2月6日日曜日

イレッサ騒動は何が問題であるのか

今回はイレッサ訴訟における裁判所の和解勧告と、関係団体の対応を追ってみたいと思います

まず本件についての概説ですが、当初「夢の抗がん剤」とされたイレッサで間質性肺炎となった患者および遺族15人が国と、製造元のアストラゼネカに対し民事訴訟(損害賠償)をおこし、それに対して東京地裁と大阪地裁が和解を持ちかけたというものです。
これに対して国とアストラゼネカの対応ですが、どちらも和解拒否を明確にし、両HPにてその理由を「情報提供は充分に行っていた」「これは副作用であって薬害ではない」と主張しています

http://www.astrazeneca.co.jp/activity/press/2011/11_1_25.html
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000011b50-img/2r98520000011b6h.pdf

また、ほとんど誰も注目していませんが、実はこれに先立って、訴訟とは直接関係ない、がんセンターと癌学会が和解案に対して反対声明を出していました。

http://www.haigan.gr.jp/uploads/photos/258.pdf
http://www.ncc.go.jp/jp/information/pdf/20110124.pdf

国とアストラゼネカの対応は、この影響もあるでしょう。国の主張なんて、ほとんどがんセンターと学会の切り貼りですね


これに対し、マスコミは薬害を認めないものだとして非難する記事を並べております。また、比較的マシなところではドラッグ・ラグの問題と絡めて論説するものもありますが、正直、どちらも的外れな論評です。


そもそも「薬害」ってなんですか?と言うところからこの議論はスタートしなければなりません
有害事象や副作用を「薬害」に含めるかどうかがポイントになりますが、そんなわけはありません
だいたい医療業界は意味不明なロジックを適応されがちなのですが、他業種にこのロジックを当てはめてみましょう
副作用まで国や企業に責任を求めるなら、自動車事故の賠償は国と自動車メーカーが負うということになります。ハンバーガーを過食して肥満になったらマクドナルドの責任ですか?そんなわけはないですね

薬害(http://ja.wikipedia.org/wiki/薬害
薬害(やくがい)とは、医薬品の使用による医学的に有害な事象のうち社会問題となるまでに規模が拡大したもの、中でも特に不適切な医療行政の関与が疑われるものを指す。臨床医学よりも医療訴訟や報道などで行政の対応の遅れを非難する際に多く用いられる。

という理屈であるならば、今回和解案で国が責任を問われているのは「承認が適切であったか」になるでしょう
これについては肺癌学会が
いずれの知見も、承認後多数の方々に使用された結果明らかになったものであり、効果が期待できる遺伝子異常や重篤な間質性肺炎発生の可能性を承認前や承認後ごく早期に予見することはきわめて困難であった
と主張しています。
こんなことは常に起こりうるということは医薬品に関わる人間にとっては常識であり、だからこそ市販後調査が行われているわけです。
もしこんな事にまで国や企業に責任が問われれば、誰も日本で薬なんて売らなくなります
少なくとも、今回は非加熱血液製剤などとはまったく様相はまったく異なるわけで、これを「薬害」と安易に呼ぶことはブンヤ失格でしょう


さて、Wikipedia基準ではこういう話になるわけですが、問題は裁判所が何をもって国と企業の責任としたかですね。
実はこれ、医療関係者が首をかしげる内容なのです
「間質性肺炎は重大な副作用欄の4番目であったこと」が国と企業の過失

 なのだそうです。
はっきり言って、この順番なんてただの背番号程度の意味しかないんですが、地裁はなにを血迷ったのでしょうか?
少なくともメディアを見る限りでは、国と企業にどんな明らかな法的な過失があったかや意図的な犯罪があったとかは書かれていません


私は、今回の和解案は医療案件に対する裁判所の最近の対応を象徴していると思います
まず最初に気づくべきは、最近「和解」を連発していることです
明らかに、法的な判断から、判例を作ることから逃げています。法的に白黒つけられるなら和解ではなく判決を下すべきです
法的に過失を認められないからこそ、「和解」に逃げているのです
裁判所は、罪を問い、それに罰を与えるための場であるはずです
不幸な人を救済するために、関係者に過失を捏造する場所ではないはずです

また、今回は裁判所は非常に大事なことをまったく検討していません
通常、過失を問うときは、「それがミスであるかどうか→そのミスが回避できていれば不幸な結果を回避できたか」というロジックが展開されるのですが、
では、間質性肺炎で亡くなられた方々は、イレッサがなければ生存していたのか?代替手段はあったのか?という部分にまったく触れられていません
いわば最後の「一か八か」の治療まで、期待外の結末の責任を問われるのであれば、それは自然科学である医療行為を否定することになります
日本では「善きサマリア人の法」が存在しない影響がこんなところにも出ていると言うことでしょうか?
意味不明な和解案を持ち出して、こうまで医療界の反発をくらって、今さら地裁がどの様な判決を出すのでしょうか?

一部の医療者が主張するように、医薬品の無過失補償制度がちゃんと整備されていれば、こんな裁判は避けられたかも知れません
しかし、このイレッサ騒動はそれ以外に気をつけるべきところがあります

私はイレッサが承認されたときから一つの疑問がありました
当時のメディアはイレッサは「夢の抗がん剤」とえらく報道していましたが、誰が「夢の抗がん剤」と言ったのでしょうか?
イレッサの何が「実現された夢」だったのか、メディアは全く理解せずに報道し、話をすり替えていないでしょうか?
イレッサ騒動は、タミフル騒動と非常によく似ていると思います
どうにも、メディアが話題作りにマッチポンプをしているように見えてなりません


私はこれから下される判決以上に、こうまで裁判所と医療界とメディアがまったく歯車のかみ合わない応酬(というよりは一方的な主張)をしている事実に危機感を覚えます

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