2010年5月2日日曜日

医学という宗教の終わり、医療というシステムのはじまり

医療とは、そもそもなんなのだろうか? 


そのはじまりは、おそらくは
「苦しむ隣人を救いたい」 
という、純粋な祈りの一つだったのだろう


そして、原始宗教から魔術が生まれ、科学へと発展したように、
その祈りは、経験則から医学へと発展した



しかし一方で、ヨーロッパにおいては宗教が医学の発展を阻害した
解剖学の誕生は13世紀までかかり、紀元前4世紀のヒポクラテスの誓いが医師のあるべき姿として復活したのは19世紀であった
書物や遺跡から推定される紀元前の医学は、決して教会の支配下にあるヨーロッパに劣るものではなかった


しかし、それ以上の災厄があった
宗教は医学と医療を切り離してしまった
政治的に医学を消滅するわけにはいかなかったが、魂は宗教の専売特許でなければならなかった


さらに、江戸末期から明治時代にかけて、日本は医学だけでなくこうした医学上の哲学まで輸入してしまった
この背景には、当時の政府の高度な政治判断があったことが明らかにされている


そうして、 医師は政治家もしくは医学者となり、人体を対象とすることとなった

「苦しむ人を救いたい」という願いは、どこかへ行ってしまった


それでも、20世紀はよかった
20世紀の医学の発展は、人体を救うことが人間を救うことになっていたからだ
また、魂の問題には各宗教が対応していた
もっとも、その多くは「看取り」であっただろうが…


しかし、20世紀末に、話は変わってきた




抗生物質によって撲滅できると思われた感染症は、HIVやMRSA、SARSの登場により永遠に共存しなければならない相手であると思い知らされることとなった
遺伝子解析と生物製剤の発展により対抗できると思われた悪性腫瘍も、ヒトゲノムを解析しても人間のことは解析できなかったという絶望的な結末と、治療薬の高額化という大きな壁が立ちはだかった
人工臓器や再生医療の開発は予想以上の困難を極め、未だに人の死を前提とする移植が世界的に広がっている


21世紀に入り、人間は人間のことを理解できていないという当たり前の結末が、医学の限界が、
医学は医療ではなかった
ということを、露呈させた

医学の研究者が減少しているのは、そうした背景もあるのだろう
そして、医師の医療観が崩壊し、世界の医療界にバーンアウト症候群が広がった



また、患者側にも大きな変化があった
人命を尊重しすぎたために個人の人生観がないがしろにされたことに患者が拒絶反応をおこし、1980年頃に患者の権利が主張されだした
(日本では患者の権利宣言は制定されておらず、その間に行きすぎた権利を主張するモンスターペイシェント問題が先行し、難航している)
さらに宗教離れが進み、医療者は魂の問題にまで対応を求められることになった


この数十年の間に、これだけのパラダイムシフトがあったことに、この国でどれだけの人が気づいているのだろうか?


こうした中で、先進国では医療崩壊が広がった
アメリカは医療を契約ビジネスとし、ヨーロッパは福祉として制限された医療を行うこととなった
欧米は、医療をシステム化することで、医療者個人への負担を軽減するという生き残り策をとったのである
時代の変化に合わせて、医療もその姿を変えたのである

一方で、医師の個人的使命感に頼り切り、物理的に限界ギリギリで運用されていた日本の医療体制は、なんの対策もとられず、あっさりとその限界を超えた
医療体制の再構築、労働環境の整備といった対症療法は確かに重要である
しかし、


「日本の医療とはなんなのか」 


という問題に明確な解を政治として出さない限り、 日本の医療が再生することはあり得ないだろう


また、私たち医師も向かい合わねばならない問題がある
人間は死ぬ生き物であるということが再確認された現代において、医師は迷走し、その結果として医療が崩壊していることもまた事実である


「医師は、人間の何を救うのか」


という命題に解を出さなければならないのではないか?

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