先の大戦は、医学や軍事の名の下に人体実験が平然と行われ、現代の生命倫理の発端となったものである事は忘れてはならないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニュルンベルク綱領
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルシンキ宣言
今の時代のこの日本においてすら、脳死、病気腎移植、代理母、iPS細胞、延命治療と言った生命倫理上の問題があり、社会的議論ないままに現場でそれらが進められています。
人命とはなんであるのか、人体とはなんであるのか、医学はどこまで医療に踏み込むべきなのか、
それをもう一度考え直すべき時ではないでしょうか?
8/4号 「2.5人称の視点は、臨床の知」、柳田邦男氏
2010年08月04日
「それまでの私は脳死を受け入れることに傾いていたが、脳死状態にある息子を目の前にした時、それを受け入れることができなかった。頭で考えていた死との相違をどう捉えていいのか、自分の中に“分裂状態”が生じた。それから、『生と死の人称性』を考えるようになった」
7月31日に開催された第42回日本医学教育学会大会の特別講演で、ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、「医学の急速な進展と対患者関係 - 2.5人称の視点の提言 - 」と題して講演しました。「2.5人称の視点」は柳田氏の造語で、「医師だけでなく、行政官、法律家などの専門家で、専門分化が進む中で、見落としがちな視点について話をする」と柳田氏は講演の趣旨を説明。
柳田氏は、医療者には『ガン回廊の朝』などの著書で有名ですが、ご子息の話は『犠牲(サクリファイス - わが息子・脳死の11日』として上梓しています。柳田氏は、その後、哲学者のウラジーミル・ジャンケレヴィッチの著書や、心理学者の河合隼雄氏との出会いを通じて、「生と死の人称性」についての考えを深めていき、講演スライドでは、以下のようにまとめています。
【生と死の人称性】
1.1人称の「生と死」
医療の選択、リビング・ウイル、人生の最終章の生き方
2.2人称の「生と死」
ケア、介護、グリーフワーク
3.3人称の「生と死」
専門的かかわり合い(医療行為)、距離を保つ(冷静、客観性)
医療者にとっては、患者さんの死は3人称。豊かな経験と専門性を発揮するためにも、「感情に流されず、冷静さが求められるが故に、時に科学主義、視野狭窄になる」とする柳田氏は、「『乾いた3人称』の視点から、『潤いのある2.5人称』の視点が求められる」と説きます。「2.5人称とは、足して2で割ったのではなく、3人称の立場を保ちながら、1人称、2人称の視点を併せ持つこと」(柳田氏)。
<略>
そのほか、柳田氏は、哲学者の中村雄二郎氏の著書『臨床の知とは何か』にも言及。「科学の知」と「臨床の知」には違いがあり、科学的は普遍性、論理性、客観性を重視し、研究の対象を客観化しますが、臨床で人間を見る際にはそれだけにとどまらず、個別性を大事にすることが大切で、そこに大事なものが隠されている、などと柳田氏は指摘。「2.5人称の視点は、臨床の知の一つの視点になる」(柳田氏)。
最後に柳田氏は、「専門家に求められるもの」として以下の4点を挙げ、特別講演を終えました。
【専門家に求められるもの】
1.科学主義、制度化、標準化の「落とし穴」に気づく。
2.「生と死」の人称性を理解する。
3.人間が生きている個性豊かな物語に興味を抱く。
4.人間を愛する心で、その身になって考える。
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