2010年7月19日月曜日

Quality of Death

共同が変な訳をしたおかげで、某医師専門掲示板で変に炎上してしまったイギリス初の調査結果(http://www.eiuresources.com/mediadir/default.asp?PR=2010071401)をAFPから抜粋したいと思います


死に場所なら英国が一番、英調査
2010年07月15日 18:00 発信地:ロンドン/英国

【7月15日 AFP】死を迎えるのに最適な国は英国――英誌「エコノミスト(Economist)」の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(Economist Intelligence Unit、EIU)」が14日、このような調査結果を発表した。
 EIUは、経済協力開発機構(OECD)加盟30か国とその他10か国の医師・専門家などを対象に、終末期医療に対する国民意識、トレーニングの有無、鎮痛剤の使用状況、医者・患者間のコミュニケーションの透明性などを基準とし、「クオリティー・オブ・デス(QOD、死の質)」を評価した。
 英国は、政府による終末期医療サポートや、ホスピス間のネットワークが充実している点が評価され、40か国中トップに立った。2位にはオーストラリア、3位にはニュージーランドがランクイン。アイルランド、ドイツ、米国、カナダもトップ10入りした。
 デンマーク22位、フィンランド28位など、富裕国とされる国の複数がランキング下位20位と低評価を受けたほか、ワースト10にはポルトガル、韓国、ロシアが入った。最下位はインドだった。

■富裕国での終末期医療整備が急務
 EIUは、「最先端の医療システムを有する富裕国」でも医療制度に終末期医療を組み込んでいない国が多いと指摘。人の寿命が延び、高齢者が増え続けるなか、こうした国々で終末期医療の需要が急激に高まるとの見通しを示した。
 また、緩和医療は病院だけで行われるべきものではないこと、自宅での死を選ぶ人が多いことを挙げ、自宅介護士の育成を強化するよう薦めている。(c)AFP/Charlotte Turner


この調査結果の日本における分析については、シンガポール版の分析が参考になります。


「死の質」ランキング低いアジア諸国、日本は40か国中23位
2010年07月16日 08:44 発信地:シンガポール

【7月16日 AFP】アジアでは全般的に生活水準が向上しているにもかかわらず、死を迎える人に対し、適切なケアが提供されていないと指摘する報告が14日発表された。
 英誌「エコノミスト(Economist)」の調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(Economist Intelligence Unit、EIU)によると、世界的に高齢化が進む中、終末期ケアや終末期医療の充実は、各国政府や機関などに求められる急務となっている。
 しかし、シンガポールの慈善団体リーエン・ファンデーション(Lien Foundation)の調査に基づき、死を迎える人に施されるケアの質を評価した「クオリティー・オブ・デス(QOD、死の質)」インデックスで、アジア各国の順位は低い。

■死の質1位は英国、日本は23位
 比較された40か国中の最下位はインド。下位10位には中国、マレーシア、韓国が並んでいる。経済大国の日本も、台湾14位、シンガポール18位にも劣る23位にしかランクインできていない。
 一方、トップは「ゆりかごから墓場まで」の英国。2位以下はオーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、ベルギー、オーストリア、オランダ、ドイツ、カナダ、米国と続く。
 報告書は「クオリティ・オブ・ライフという言葉は広まったが、クオリティ・オブ・デスは別問題。医療政策に緩和ケアを組み込んでいる国は、最先端の医療システムを要する富裕国を含めてほとんどない」と批判している。また「緩和ケアおよび終末ケアに特化した施設」が国の医療制度の一部になっていない点や、ドラッグの違法取引や医療従事者への訓練不足が足かせとなって、世界的に鎮痛剤が適切に行き届いていない点が指摘された。
 さらに文化的側面として、死に対する認識やタブーが、緩和ケアの障害になっている点も挙げられた。

■緩和ケア必要な患者は年1億人、受けているのはわずか8%
 世界で65歳以上人口は2030年までに8人に1人、合計で10億人に達する。毎年、緩和ケアを必要とする患者は1億人を超えるが、実際にそうしたサポートを受けることができているのはそのうち8%に満たないというデータも報告では引用している。
 医療の発達とともに先進国ほど寿命は延びたものの、少子化と相まって高齢化も進み、また疾患を抱えて長生きするという新たな難題に終末ケアの現場は直面している。(c)AFP/Martin Abbugao


一言で言って、これでもかっていうほど全く反論できませんね
死に対する認識やタブーってってのは、日本だと病院の方にも重大な問題があるように感じます 
 
医療崩壊が叫ばれてからQOLという単語すら死語になりつつある日本の医療現場ですが、QODにいたっては言うまでもありません。
まぁ、死を生と対立するものととらえるか、生の最終段階ととるかは議論の余地がありますが、
そもそも、そんな「死にゆく人をどうするか」という概念が認知されてない現状では、この調査に何言っても反論にはなってません。

とはいえ、この原因については、日本に関しては歴史的な影響ってあると思うんですよね…
欧米では医療もキリスト教の影響下にあったわけですし、ホスピスなんてのはもろに教会の仕事だったわけです。
そんなわけで、治療期と終末期の壁って言うのはほとんどないと思われます。
また、国民の方もDeath Educationが日本よりはるかにできてますから、心理的抵抗が少ないのでしょう。

ところが、日本では治療期と終末期は隔絶しています。
患者が死亡する確率の高い高度医療機関においてすら、スタッフに終末期や「その後」のグリーフケアについてまともな知識がありません。
本来であれば、終末期専門のコメディカルなどが常駐しているのが望ましいのでしょうが、
在宅にするにしても、比較的健康な人の介護すらまともに回っていない状況で、終末期など夢のまた夢です

超高齢化社会の日本では、あと10~20年もすればまずは地方で、さらに10年ほどして次はベッドタウンで、間違いなく死のラッシュが始まります
その時まで、医療機関はノーガード戦法をとり続けるつもりでしょうか?
恐らくは、5年以内に動かないと、手遅れになり現場は混乱すると思われます

まぁ変な話、慢性疾患については、これから激増するターミナル患者と共に医療者が学んでいくって言うのはある程度期待できると思いますので、それなりにどうにかなるかも知れません
でも、そんな悠長なことを言ってられない現場があります
それは、脳死です

とうとう、改正臓器移植法が施行されました
もう、家族の同意だけで脳死が人の死となります


臓器提供というとレシピエントのQOLばかりが注目されますが、
私たちが本当に向き合わなければいけないのは、ドナーのQODと、その家族のこれからのQOLではないのでしょうか?


小児においては、医療機関が対応不能とはっきり言うところも出てきています
一方、成人の方はそういう話は聞きませんが、全ての施設が改正臓器移植法に対応できているなどとはとうてい思えません
だというのに、国の方はもうヤリ逃げ状態です


脳死移植32例の検証宙に浮く 国の検討会“休眠状態”

 脳死移植が適正に行われたかどうかを調べる厚生労働省の「検証会議」(座長・藤原研司横浜労災病院名誉院長)が昨年3月から1年以上開かれておらず、2007年5月以降に国内で実施された計32例の検証作業が宙に浮いていることが17日、分かった。このうち2例は臓器提供日から3年以上放置されている。
 厚労省の臓器移植対策室は「改正臓器移植法施行に伴う準備で忙しいため」と説明、当面は開催する予定もないとしている。会議の委員からは早期再開を求める声が上がっており、移植医療に詳しい生命倫理学者は「脳死移植をめぐる手続きの透明性が損なわれている」と指摘している。
 臓器提供の大幅増を目指す改正移植法が17日に全面施行され、15歳未満の子どもからの臓器提供も可能となったが、移植医療の信頼確保に向けた国の姿勢があらためて問われそうだ。
 厚労省によると、国内でこれまでに法的脳死と判定されたのは87例(うち1例は臓器提供に至らず)で、55例目まではすでに検証が行われた。このうち金沢大病院(金沢市)で行われた46例目の検証では、同病院が脳死判定時の脳波検査の記録を紛失したことが明らかになった。
2010/07/18 02:04 【共同通信】


医療現場の対応能力を無視した法改正のツケは、必ず出てきます
遠からず、脳死判定から逃散する施設も出てくるかも知れません

国や病院がアテにできないなら、医療者は自分で自分の身を守るしかありません
患者もいつか必ず死ぬ。そういう前提に立った上で自分とスタッフと患者を守る手段を模索する時代が、もう来ていると思います
その上で、現場から問題を発信する必要があるかと思われます

2010年7月10日土曜日

誰が子どもの守護者であるか

今回は、改正臓器移植法施行が迫る小児脳死について取り上げたいと思います
先日、このような記事が流れました


子ども提供、施行時は13% 体制整備に大きな遅れ 拒否の有無確認に課題も 全国の病院アンケート 【1】 2010年7月8日 提供:共同通信社 
 
 本人意思が不明でも、15歳未満を含め家族の承諾で脳死での臓器提供が可能となる改正臓器移植法が17日に施行される時点で、子どもの提供に対応できる病院は13%、「年内に可能」を合わせても28%にとどまることが、全国の提供病院への共同通信社のアンケートで7日、分かった。 改正法は昨年7月に成立したが、運用指針が決まったのは6月下旬で、各病院にはこれから説明するなど、厚生労働省の対応が遅れ、医療現場の体制が整っていない実態が明らかになった。
 本人が提供を拒否していなかったかどうかは、運用指針で家族への聞き取りなどによって確認すると定めているが「不十分」との回答が21%。「本人と家族の関係にもいろいろある」などの指摘が多かった。
 調査は、日本臓器移植ネットワークが昨年4月現在で施設名を公表している提供病院と、新たに加わる小児専門病院を合わせた337病院が対象。233病院(69%)から回答を得た。

 臓器提供への対応について回答した226病院のうち、「年齢にかかわらず対応できる」「大人はできないが、子どもはできる」を合わせると、85病院(38%)が子どもの提供に対応できるとした。だが時期は「改正法施行時」が29病院(13%)、「年内」が35病院(15%)で、年明け以降との回答もあった。「大人には対応できるが子どもはできない」は131病院(58%)、いずれも対応できないは10病院だった。
 233病院のうち、提供意思の確認は「救命不能と判断した段階で、その後の治療方針を説明する中で、一つの選択肢として提示する」が52%、「家族からの申し出がない限り、特に対応しない」が28%。「掲示物を検討」との回答もあった。
 虐待を受けた子どもからの臓器提供を防ぐための院内組織やマニュアルは30%が「準備した」と答えたが、43%は準備を進めていない。6歳未満の脳死判定は、48%は「自施設で可能」、20%は「他施設からの応援があれば可能」と回答した。

※臓器提供病院
 臓器移植法の運用指針で脳死者から臓器提供できると規定された病院。大学病院、日本救急医学会の指導医指定施設、日本脳神経外科学会の専門医訓練施設(A項)、救命救急センターの従来の4類型に、新たに小児専門病院など日本小児総合医療施設協議会の会員施設が加わり5類型になる。脳死判定ができ、倫理委員会で承認していることなどが条件で、18歳未満から提供する場合は、虐待を受けた子どもを提供者としないために、院内組織や対応マニュアルを整備する必要がある。

※改正臓器移植法

 脳死での臓器提供は15歳以上で本人の書面による意思表示が必要とする臓器移植法を改正、子どもを含め生前に拒否していなければ家族の承諾で提供できるようにした。昨年7月成立。提供拒否の意思は年齢に関係なく有効。本人が18歳未満の場合は、提供病院の委員会で虐待の疑いがないか確認し、疑いがあれば提供しない。脳死判定は2回の検査間隔が6歳以上は6時間以上、6歳未満は24時間以上。改正法のうち親や子、配偶者に優先提供できる規定は1月に施行、5月に初の適用例として夫から提供された角膜が妻へ移植された。

提供病院の負担減課題 【2】2010年7月8日 提供:共同通信社
 【解説】臓器移植法の改正は、国内で伸び悩む脳死移植の件数を増やす狙いだが、臓器提供を支える救急医療などの現場の負担は大きい。共同通信社のアンケートで提供に向けた医療現場の取り組みが十分進んでいないことが浮き彫りになったが、提供病院に体制整備を押しつけるだけでは問題は解決しない。
 移植医療を進めるには、国などが提供病院の負担軽減に向け、どのように支援するかが課題だ。
 アンケートで、中国地方のある医師は「臓器提供が進まない一番の理由は、現場の多くが提供にかかわることに積極的になれないからだ。臓器提供は、疲弊している救急現場にさらに追い打ちをかける」と断じた。
 この医師は「なぜ脳死判定を現場に委ねるのか」と疑問を投げ掛け、各地に専門の脳死判定チームを設置すれば提供病院の負担が大幅に減り、脳死判定の公正さや透明性も保たれると指摘した。
 日本臓器移植ネットワークのまとめでは、過去の脳死での提供で、主治医が患者を脳死状態と診断後、2回の法的脳死判定をして臓器が摘出されるまでの時間は平均40時間以上。
 2回の判定間隔を長くする6歳未満は60時間前後かかる計算で、虐待の有無に関する確認作業など、改正法で新たに増える負担も多い。このままでは臓器提供の増加は望めないばかりか、救急医療への大きな障害になりかねない。
  
虐待や家族対応に難しさ 第三者機関設置の提案も 【3】2010年7月8日 提供:共同通信社 
 
 改正臓器移植法で大きく変わるのは、15歳未満の臓器提供が可能になることだ。特に、これまで海外渡航しかなかった小さな子どもの心臓移植に道を開くことになるが、共同通信社のアンケートでは、子どもの提供は児童虐待や家族への対応が難しく、負担も大きいと考える病院が少なくなかった。
 虐待を受けた子どもからの提供を防ぐために設置が必要な院内組織について、中部地方の病院は「都道府県や地域ごとに設置すればよい」と提案。「第三者機関による公正な立場での話し合いができ、提供病院に精神的な負担を掛けることもない」と利点を挙げた。
 また「虐待への対応体制が医学的にも社会的にも低い日本の現状を早急に何とかすべきだ」(東北地方の病院)との危機感や、「虐待のチェックを提供病院に課すのは疑問」(関西地方の病院)との考えを示したり、「国レベルで専門家の支援システムが必要だ」とする指摘もあった。
 また子どもを失う家族は悲しみが大きく、臓器提供にはつながりにくいとの見方も強い。アンケートでは「家族の悲嘆が強く、脳死状態を受け入れることができないのでは」「家族は少しでも長くそばにいたいと思うことが多い。法律が変わっても臓器提供に同意する親はすぐには増えないと思う」などの回答があった。
 関西地方の病院は、提供に対応は可能としながらも「小児の死は家族は受け入れがたく、臓器提供は話しだしづらく、実施は困難」と、改正法に対応する医療現場の複雑な心境をうかがわせた。
 

明らかに医療現場を無視した、一方的な制度作成のツケを医療施設に押しつけられている形です。
虐待を受けた子どもからの臓器提供を防ぐための院内組織やマニュアルを自前でつくるなど、ただでさえギリギリの今の病院に、負担を増やすだけです。
また、「基準」が施設ごとに異なるというのは、許容される問題でしょうか?


一方で、こうした国の態度に明確にNoを示した施設も現れました。


歳未満、脳死判定せず 長野赤十字病院で方針  信濃毎日新聞 2010年7月8日(木)

 臓器移植法で臓器提供病院になっている長野赤十字病院(長野市)が、15歳未満を含めて家族の同意で臓器移植が可能になる改正法が17日に施行されても、6歳未満の子どもについては脳死判定を実施しない方針を固めたことが7日、分かった。厚生労働省が示している脳死判定ガイドラインでは「6歳未満の子どもに関して、きちんとした判定ができるのか疑問がある」と説明。同病院生命倫理委員会で正式決定する。
 信濃毎日新聞の取材に対し、斎藤隆史副院長(兼第1脳神経外科部長)が明らかにした。同病院の判断について厚生労働省は「病院の体制面の問題で判定を実施しないケースは多いが、ガイドラインへの疑問から6歳未満の脳死判定をやめる病院は聞いたことがない」(臓器移植対策室)としている。
改正法施行を目前にしても、子どもの脳死判定に対して現場の困惑が続いている実態がうかがえる。
 ガイドラインでは、6歳未満の子どもの脳死判定は自発呼吸がないことなどの確認を24時間空けて実施するよう定め、今年6月25日に公表した。同病院は斎藤副院長や複数の小児科医師らがガイドラインが適切かどうか検討した。
 斎藤副院長によると、脳死は頭蓋(ずがい)骨内の血圧が何らかの要因で高まって心臓から送り出される血圧を上回ることで脳に血液がめぐらなくなることで起きるが、斎藤副院長は「個人差はあるが、おおむね生後1年半ごろまでは頭蓋骨に『大泉門』と呼ばれるすき間があって、脳内の血圧が上がらない可能性がある。このため、実際に脳死が起こるのか疑問がある」と説明。
 さらに、小児の場合は脳死になっても長期間心臓が動き続ける「慢性脳死(長期脳死)」と呼ばれる状態になることがあるとし、「家族にとっては死ではないかもしれない。倫理面で議論が尽くされていない」と判断。「100%適切な判定基準だという結論には至らなかった」という。
 厚労省はこれに対し、「判定基準は約140例の症例を基に研究班を設けてつくった。見解の違い」と説明。ただ、「6歳未満を判定しなくても、臓器提供施設から外すことはない」としている。
 改正法への対応については、県内の6臓器提供施設のうち、諏訪赤十字(諏訪市)が「17日に向けて準備中」とする一方、信大(松本市)は「検討中」、昭和伊南総合(駒ケ根市)も「まだ決まっていない」としている。

大泉門の影響は私には判断できませんのでコメントは差し控えさせていただきますが、
長期脳死については脳死からの臓器提供が当たり前になった後に発覚した問題であり、欧米は意図的に目をそらしているようにも見えます。
現在、アメリカでは成人の脳死ガイドラインの改定中だそうですが、その脳死先進国のアメリカですら

95年にAANが発表した、脳死判定のための医学的基準を詳細に示した実践パラメーターが無効であることを示すエビデンスは見付からなかったが、一方で、現行の脳死判定基準がエビデンスベースであるとは言い難く、個々の脳死判定において臨床医に重要な判断が任されている現状があからさまになった。 

と発表したことは、脳死が一般に思われているほど整理されたものではないと言うことを示しています。
さらに、小児の脳の回復能力においても、十分な研究がされたかは疑問が残ります。

実際の「脳死患者」を見たことないと分からないと思いますが、「脳死」というのは半分言葉遊びです。
「機能的に死んでいる」というロジックをよく聞きますが、そうであるなら「心不全」は「心死」と言わなければなりません。肝不全や腎不全も以下同文です。
「脳死」は「法的には死亡」であっても「生物的には生存」しているのは決して否定できない事実なのです。
当人がそれは自分にとって死であると認めるなら、それもアリかも知れません。
しかし遺骨にすら人格を認める、世界的に特異な生命観を持つ日本で、 本人意志が不明瞭な小児の脳死をどうするか、あまりにも議論されなさ過ぎたと思います。

少なくとも、大学病院ですら「検討中」というのは非常に問題がある制度であると言えるのではないでしょうか?


特に問題なのは、虐待への対応です。
児童虐待の発見もまた一般に思われているほど整理されているわけではありません。

先日、院内で小児救急の講演がありましたが、病院での児童虐待の発見は初診から平均2週間かかるということでした。
脳死になってから短い時間で、しかも医療機関が単独で、どこまで確実に虐待死を発見できるのでしょうか?
どう考えても、医療機関の能力と権限を越えています。
医療機関、教育機関、児童相談所、警察、司法が連携する小児脳死の専門組織が必要でしょう。

「責任を持てない以上は脳死判定をしない」と表明することは、医療機関として責任ある態度であると私は考えます。
こうした「責任あるNo」を積み重ねることによって、日本流の小児移植医療はこれからできあがっていくでしょう 。


こういうことを言うと、では欧米ではどうしているのかという疑問も出てくるでしょう。
これについては、MRICから恐るべき記事が出ました。


Vol. 210 『ボストン便り』(14回目)「アメリカ社会と臓器移植」 
医療ガバナンス学会 (2010年6月16日 07:00) |
http://medg.jp/mt/2010/06/vol-210.html 
病死や事故や殺人、自殺に比べると数は少ないですが、アメリカでは幼児虐待の被害者も臓器ドナーになっています。1995年には49人、2000年には57人、2005年には68人、2007年には99人、2009年には105人の被虐待児が死体臓器ドナーとなっています。虐待によって死んだ子どものドナーの累計は697人です。アメリカでは18歳未満の子どもの場合、家族の承諾があれば臓器を提供することができます。
ちなみにアメリカでは子どもの虐待死自体も多く、2007年には1760人の子どもが虐待によって死亡しています。前回の「ボストン便り」では、子どもをひとりで留守番させただけで、アメリカではネグレクトという虐待と見なされると書きましたが、それは、死に至るほどひどい虐待が数多く行われている現状を改善するために、虐待の定義を厳しくしているのだと解釈されます。

正しくは、発覚した虐待死だけでこれだけの数があると言うことです。
これが、移植大国の現実です。
これを許容しているのがアメリカの社会であり、医療です。

虐待死からの移植は決して許さないと語る日本の小児医療は、悪なのでしょうか?
小児の心臓移植が欧米から遅れていることは、恥ずべき事なのでしょうか?

私たちが、社会が、こどもに継いでいくのは、命や金だけではありません。
そこには目に見えない文化や倫理、道徳というものもあります。

生命とは何なのか
人権とは何なのか
医療とは何なのか

医学や法律から離れて純粋に考え直さなければ、人類は取り返しのつかないところまで行ってしまうかも知れません。

2010年7月4日日曜日

混合診療の論点 後編

混合診療解禁の議論は、実は最近に始まったものではありません。
そのはじまりは、国民皆保険の実現と同時あったと言ってもいいくらい歴史の古い争いで、日本医師会が絶対反対を掲げるのもこうした50年近い歴史的な経緯があると考えていいかも知れません。

かつて、「喧嘩太郎」こと武見日本医師会長が保険医総辞退という今では(色んな意味で)考えられないことをやった理由の一つに、「制限診療」というものがありました。
私が生まれる20年前のことなので詳細は不明なのですが、医療費による国費圧迫を避けるために国が治療内容の上限を具体的に設定するというものだったそうです。(官僚のロジックは半世紀何も変わっていないようで…)
もし喧嘩太郎がいなければ、日本は少し前のイギリスのような、がんの手術半年待ちとか、医療を受けるためにアメリカにメディカルツーリズムするが当たり前の国であったかも知れません。

現在多くの医師や仙石内閣官房長官が考えているような、先進医療拡充型の混合診療解禁は、結果的にこの制限診療のバリエーションを招きかねません。
国民の半数が年収450万以下なのですが(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-2.html)、それでは地方で自由診療がまともにできるだけの需要が発生するとは思えません。必然的に施設も欧米並みに集約化されていくでしょう。
しかし、デパート業界が地方を中心に次々と撤退しているのをみれば分かるように、地域経済はそんな新たなサービス産業を興せるほどの余力がありません。
恐らく、先進医療を行う専門病院が一地方に一つ残ればマシな方でしょう。(実際、この保険診療下ですら採算がとれないということで北陸に小児病院は存在しない)
地方では先進医療は受けられなくなり、破産覚悟で東京や大阪にメディカルツーリズムに行くようになるだけという結末も想定されうるということは心にとめておく必要があります。


また、少し前では小泉政権下で混合診療解禁の話がありましたが長くなるので、それよりも何故か小泉政策を継承している民主党政権の混合診療解禁に話を移しましょう。
先の衆院選で、医師の多くは自民党から民主党に鞍替えしました。
その理由は、やはり保険医療を推進するというマニフェストに賭けたというのが大きいと思います。
(マニフェストに物申す! 民主党2010参院選正式版 http://firstpenguindoc.blogspot.com/2010/06/2010_20.html 参照)


ですが、あの事業仕分けで「風邪薬、ビタミン剤、湿布薬、漢方薬を保険適応外とする」という混合診療解禁が通りました
漢方薬については、もはや先端医療に欠かせないもので世界的にも注目されてる最中なので、猛烈な反対署名により撤回されましたが、他がどうなったのかは闇の中です。
ただ、こういう上ではなく下を切り落とすタイプの混合診療解禁もあると言うことは心にとめておく必要があります。

因みに、このタイプの混合診療解禁ですが、一見問題ないように見えて、実は一次予防と二次予防を放棄すると言うことなんです。
例えば、糖尿病の初期治療を自費にしてしまったら、誰も治療を受けず眼症や腎症が増加することは容易に想像できます。(中国では過去にこれをやらかしたことがあるらしいのですが…)
そこまでやらずとも、どうせ風邪だからと放置して、肺炎にまで進展して入院とか孤独死とかは平気で起こるでしょう。
風邪だと思って薬局で適当にやってたら、実は新型トリインフルエンザで気がついたら日本蔓延→今以上に世界へ感染症輸出国認定とか、それくらいは平気で起こりえます。
医療を集団防衛と考えるならば、これほどナンセンスな政策はないでしょう。

財務省は医療費を削るためならあの手この手で迫ってきます。


また、経産省は医療として連続体であるはずの治療以外の医療分野(予防、リハビリ、緩和ケアetc)を成長産業として保険医療から切り離してビジネス化しようともくろんでいます
http://www.meti.go.jp/press/20100630001/20100630001.html
(彼らのやろうとしていることは現行制度化でも十分可能なのであり、国民皆保険制度を否定するのは全くの筋違いとしか思えませんが…)

ある意味ではそれが彼らの存在意義であることは否定しませんが、彼らが隠している/見落としている問題点に気をつけねば、医療の目的そのものが失われかねません。


では、今の完全保険診療は万能かと言えばそうでもありません。
それは、現在医療が崩壊していることが何よりの証明です。
完全な保険診療を継続するのであれば、日本版FDA創設や、医師会や学会に全ての医師が加入し専門的・民主的組織に成長することが重要でしょう。



長々と書いてきましたが、混合診療は「どの様に個人に最高の医療を供給するのか」「どの様に広く国民に最善の医療を供給するのか」「先端科学である故に今後も増大が見込まれる医療費にどう対応するのか」という3次元的な議論であるはずなのです。
そして、これは医療政策のセントラルドグマをどこにおくかという視点から結果的に導かれる問題であるはずです。

しかし、今の混合診療議論は各論ばかりが議論されていて、根管となる総論部分が実は議論されてないのです。
私が前回「総論賛成、各論反対」という次元ではないと言ったのはそういうことです。
末節だけの議論はポイントがずれているばかりか、逆に医療を崩壊させかねません。
もし、混合診療について議論することがあるなら、各論に入る前に「あなたにとって医療とは何ですか」という総論部分が同意できているのかどうかを確認する必要があるのです。
その上で、Sustainability(持続可能性)という視点から議論するべきではないでしょうか。

現在と未来は連続体なのです。
両方を守らずして、片方だけを守ることなの不可能なのですから。

2010年6月29日火曜日

混合診療の論点 前編

混合診療は非常に難しい問題であり、議論しても結論の出ないのは毎度のことである。
 しかし、何故そんなことになるか、何故議論がかみ合わないのかという問題をちゃんと分析した文章を私は見たことがない。
今回はそこに切り込んで見たいと思う。


まず混合診療の話が何故混乱するかであるが、私はその理由は、「混合診療」という言葉をあまりに無用心に使っているからではないかと思う。色々な議論をみていて思うのだが、「どんな」混合診療を想定しているのか確認せず議論しているのだ。


実際、多少作為的な日経メディカルのアンケートでは賛成が59%になっている一方、同時期に中立的にとられたm3では賛成が44%と多いものの反対28%、どちらとも言えない28%となっており、医師間ですら問題の共有ができていないことが予想できる。
(余談だが、日経メディカルの一般人では7割が混合診療賛成になってるが、日経メディカル会員というところからして自由診療になってもそう困らない収入を持つ層である。これをもって患者の総意と言うことはできない)



まず混合診療の定義だが、
「保険診療と自由診療を同一医療機関で併用可能にするもの」
と理解しておけば間違いはないだろう。
ここを間違って理解されてると先の話ができなくなるので、確実に理解していただきたい。

つまり、病院Aで保険診療中に病院Bで自由診療をすることは混合診療には当たらず、現在でも可能なのである。
極端な話、メディカルクラスターにして保険診療用の病院と自由診療用の病院を併設して事実上の混合診療を行う事は現在でも可能なはずだ。実際、似たような事をやってる先生もいるらしい。

また、先進医療という制度もある。保険診療化のテストとして限定的に混合診療を認める制度なのだが、現実には自由診療分は校費で、つまり赤字の大学病院が自腹切ってやってる事がほとんどだろう。このため、「日本は既に混合診療を行っている」という主張は、間違いではないが正しくもなく、非常にわかりにくい制度になってしまっている。

この様に「混合診療」というのは非常に限定的な定義であり、ある意味既におこなわれているのである。
その事を知って頂いた上で、本題に入りたい。


では、混合診療の「何を」解禁すると言っているかだが、実はそこが問題なのだ。

恐らく、多くの医師が無意識に考えている混合診療は、先進医療の延長にあるものだ。つまり、現在の保険診療は堅持したままで、保険適応される前の先端医療を日本でできるようにしようというものである。

確かにこれが理想的に運用されるなら医療の安全性と先進性を確保できる。
だが、逆にこれによって、医療費削減の名の下に保険診療が進歩しなくなってしまう可能性や、製薬企業が日本での保険申請を行わなくなる可能性があるのも紛れもない事実であり、それが混合診療反対派の論拠となっている。


 

医師にとっての混合診療解禁の賛否は、1人でも多くに最高の医療を提供するか、全ての国民に一定の医療を保証するかという問題なのだ。
いってみれば、サービスとしてみるか、福祉としてみるかの違いである。
社会保障としての最終目標が違うのだから、この混合診療の賛否を同列に議論しても結論が出ないのは当然なのである。


しかし、ここで敢えて私見を述べさせていただくなら、これは混合診療反対派の論に分がある。
現在の保険診療下でさえ支払いができず治療中断があるのに、自由診療を拡大するというのは現実的な話だろうか?
また、自由診療には高額療養費の補助もない事を忘れてはならない。
混合診療解禁は、どう考えても患者負担は増えるだろう。
そうなったとき、医師は、金がないなら保険診療だけでやりましょうと言えるのだろうか?

現在、大学が校費で治療を行い、校費が不足したために寄付金を求めればマスコミにバッシングされているのが現実である。
であるならば、大学など高度医療機関は身を削って自由診療をボランティアでやりかねない。
それは一見美談であるが、その先にあるのはさらなる勤務医の環境悪化であり、長期的には日本医療を殺す毒となるだろう。
そうなれば、日本から高度医療の火が消えてしまう。

では逆に、病院側が自由診療なんだから患者が勝手にすればいいと言ったとき、どうなるだろうか?
言うまでもなく、患者とその家族は必死で医療費を集めてくるだろう。
その結果、アメリカの様に医療費が個人破産の主因になるのは間違いあるまい。
渡航臓器移植のために募金を集めているところがよく報道されているが、それが自由診療のための募金にすり替わるだけだろう。


では、そうならない事が担保されれば、一定の条件が満たされれば医師の多くが混合診療を認めるだろうか?
おそらくはその通りだろう。
しかし、だからといって「総論賛成、各論反対」と単純に言うわけにはいかないのだ。


何故なら、官僚は医師とは全く違う混合診療解禁を描いているからである。

2010年6月20日日曜日

マニフェストに物申す! 民主党2010参院選正式版

民主党がマニフェストをHPにて公開したので、前回に続いて医療政策について鳩山政権と菅政権で何が違うのかを分析したいと思います。

まずは、先の衆院選で民主党が掲げていたマニフェストですが、

日本の医療に希望を作る
国の責任で医療制度を作り、持続させる

この二つが二本柱となっています。その為の方法として

社会保障制度の安定
予防医療の推進
医療の安心・納得・安全
国民皆保険制度の維持発展
医療提供体制の整備(今後15年間で「実動の医師数」を10万人増やす)
診療報酬(私たちは長期的には医療費を対GDP 比でOECD 平均の8.9%程度(現在日本は8.1%)まで引き上げることを目指すべきと考えています。そのために、まず、1.2兆円の予算を投入する案を考えました。)
各診療科・疾患対策

といったことが掲げられていました。
では、今度の参院選ではどの様になっているでしょう?
まずは見出し部分ですが

医療・介護、農業、住宅などの新たな成長産業
日本の先端医療技術を活かした国際医療交流の促進、生産・加工・流通までを一体的に担う農業の6次産業化、住宅のバリアフリー・耐震補強改修支援などにより潜在需要を掘り起こします。

ライフ・イノベーション
医療機器・医薬品のイノベーション、ICTと医療・介護産業の融合による遠隔医療、再生医療や介護ロボットの実用化などを支援します。

観光
訪日観光客3000万人の実現に向けた観光情報の戦略的発信、ビザ要件緩和などを進めます。むら・まちづくりと一体の多様な観光資源を活かした魅力ある観光地づくりや「ローカル・ホリデー制度」創設などを進めます。

EPA・FTA
アジアをはじめ各国とのEPA・FTAの交渉などを積極的に進めるとともに、投資規制の自由化・緩和などの国内制度改革に一体的に取り組みます。

となっております。
なんといいますか、衆院のマニフェストの残滓すら見ることができません…
ところで、ここで私が医療関連分野として観光やEPA・FTAを入れたことに疑問を持たれた方もいらっしゃるかも知れませんが、それは、霞ヶ関の動きを全くフォローできていないと言うことですので、是非ともお気をつけ下さい。
観光分野では海外からのメディカルツーリズムの誘致が計画されていますし、EPA・FTAでは条約に伴う看護師および介護士の移民が既に日本に入ってきています。
しかも、この二つは現在進行形の霞ヶ関および民主党の主要政策です。
マニフェストにそのことが触れられすらしていないというのは、このマニフェストは実際の政策を反映していない可能性があること既に示唆しています。
続いて詳細部分ですが、

4.子育て・教育
・出産育児一時金、不妊治療支援など出産にかかわる支援策を拡充します。

5.年金・医療・介護・障がい者福祉
・病気や高齢への不安を全力で減らしていきます。
・財源を確保して、持続可能な社会保障制度を構築します。
・後期高齢者医療制度は廃止し、2013年度から新しい高齢者医療制度をスタートさせます。
・診療報酬の引き上げに、引き続き取り組みます。
・地域の医師不足解消に向けて、医師を1.5倍に増やすことを目標に、医学部学生を増やします。看護師など医療従事者の増員に、引き続き取り組みます。
・新型インフルエンザ対策としてのワクチン接種体制の強化、がんの予防・検診体制の強化、肝炎治療に対する支援などに集中的に取り組みます。
・ヘルパーなどの給与の引き上げに引き続き取り組み、介護にあたる人材を確保します。
・在宅医療、訪問看護、在宅介護、在宅リハビリテーションなどを推進し、地域で安心して生活できる環境を整備するとともに、家族など実際に介護にあたっている人を支援します。
・自殺対策に積極的に取り組み、相談体制の充実、メンタルヘルス対策の推進、精神科医療の適切な受診環境の整備などを推進します。



となっておりますが、まぁ、細かい突っ込みをするとキリがないので鳩山政権で主要項目であった診療報酬と医学部定員増についてみてみましょう。
すでにいくつかのメディアで突っ込まれている通り、医学部定員増については衆院選では「今後15年間で「実動の医師数」を10万人増やす」であったのが「医師を1.5倍に増やすことを目標に」と、時間の点でも数の点においてもトーンダウンしています。
そして、実はそれ以上にトーンダウンしているのが、誰も突っ込んでいない診療報酬の方です。
当初から実現可能性は疑問視されていたものの、仮にも目標を掲げていた衆院の時と違い、今回は金額も期日も全く定めていません。これは、菅政権は診療報酬増額について統一見解を作れていないと考えておいていいでしょう。
先の診療報酬改訂の結果や、長妻大臣と足立政務官がすでに空気になっていることを見れば、民主党は診療報酬を上げる気はもうないのかも知れません。
つーか、速報の記者会見の時に言っていた「診療報酬の明確な方向性」とやらはどこ行った? 



さて、ここまでですでに問題だらけの医療マニフェストですが、それ以上の爆弾があります。
メディカルツーリズムとかEPA・FTAとか、そんなのがどうでもよくなるくらいの問題です。

このマニフェスト、現在民主党と霞ヶ関が進めている混合診療解禁に一言も触れていません。
この件については、是非とも東洋経済6/12号仙石国家戦略担当相インタビュー記事を参照して頂きたいのですが、このインタビューを私なりに要約させていただくと、

・日本の医療を開放型に転換する
・これまで官僚は責任をとってこなかった。だからこれからは特区に指定された病院が全責任を負って混合診療を行う。皆保険で基本的なところを守る一線さえあれば混合診療は許容される。
・現在の医療を守るために医療費全体をGDPの10%程度まで増やすべき

という感じです。
簡単に突っ込ませていただくなら、「日本の医療を開放型に転換する」というのは「現在の医療を守る」とは反しますし、医療費増は「これからの医療」に必要なものです。
官僚はこれまで責任をとらなかったから国はこれからも責任を負わないというのは暴論以外何者でもありませんし、
混合診療下でも皆保険は最後の一線を守るということを担保する制度はどこにもありません。

しかし、それよりも何よりも問題なのは、これだけのことを一経済誌のインタビューで回答しておきながら、マニフェストにはその存在自体触れられていないということです。衆院選の「国民皆保険制度の維持発展というマニフェストとは方針を180度転換になるかも知れないのにです。
これは、マニフェストに対する背信行為と言えるのではないでしょうか?



長くなったのでまとめます。
参院選の民主党の医療マニフェストは、衆院選の時に掲げられたものとは既に全くの別物です。
そして、このマニフェストには現在進行形で進められている重要政策が、全く反映されていません。
マニフェストにもインタビューにも言えることですが、現在の民主党政権は「中央の論理」であり、野党時代に散々謳っていた「国民目線」が欠如していると言えるでしょう。
そのせいか、今現在進行中の医療崩壊をどう止めるかが全く忘れ去られています。
これでは、日本の医療に未来はありません



次回、ブログではほとんどタブーとも言える混合診療問題について取り上げたいと思います。

2010年6月12日土曜日

マニフェストにもの申す! 民主党速報版2010

首相が替わって、民主党が参院選のマニフェストを発表したようです。
詳細は来週公開されるようですが、CBニュースの速報から今後の医療政策を読み解きたいと思います。

マニフェストには、2020年度までの平均経済成長率を名目で3%超、実質で2%を上回るようにするとの目標を設定。これを実現するための施策を盛り込んだ。医療・介護などの社会保障分野では、規制が成長を阻んでいるとして、規制緩和に取り組む姿勢を示した。 

―マニフェストの成長戦略に盛り込まれた「命のための技術革新」の項目について
 例えば、医療や介護分野は、日本は非常に技術力があるといわれているが、いろいろな制約要因があり、十分にマーケットを開くことができていないと理解している。そういった部分だ。

―社会保障費に関する書きぶり
 「医療、介護、障害者福祉」と項目が別になって、それぞれ非常に微妙な問題をはらんでいるので、単純に書き切れない部分もある。ただ、われわれは「強い社会保障」を目指しているので、特に診療報酬などはかなり明確な方向性をもって書いているとお考えいただいていいと思う。




診療報酬については来週の詳細版で「明確な方向性」とやらを見てから批評させて頂きたいと思いますが、ここまでで既にいくつかの問題を推測することができます。

まず、この報道では衆院選の時に医療分野で前面に出された「医師数・医療費をOECD並に増やす」という基本方針はまるで言及されておらず、医療に対する民主党の基本路線が変更されたと推測することができます。

先の衆院選では自民党に見切りをつけて民主党に票を入れた医療者が相当数いましたが、彼らは政策に票を入れたのであって、民主党に白紙委任状を与えたのではありません。
政策の基本路線が変更されるのであれば、政治理念的には、そのことを国民に問う=解散総選挙が必要なはずで、民主党上層部は既に、先の衆院選の意味を忘れている危険性があります。


さて、少々話が脱線してしまいましたが、この報道から見ることができる民主党のこれからの医療政策の基本路線は「規制緩和」であるようです。
自民党をぶっ壊すと言った小泉元首相と同じような漢字が並んでいて目新しさはないですが、それはつまり、医療にとってはあの惨事が再び訪れる危険性があると言うことです。


「医療・介護などの社会保障分野では、規制が成長を阻んでいる」とのことですが、病院の7割が赤字であったり、歯科医師の3割がワーキングプアだったり、老人ホームが設備投資する金がなくて耐震設計になってなかったり火災報知器がついてなかったりするのは、果たして規制のせいでしょうか?
医療・介護が成長できないのは、公定価格である診療報酬・介護報酬が低すぎることが原因です。
そうした問題を「規制改革」で解決しようとすると言うことは、菅政権では医療費のベースアップは見込めないと考えた方が良さそうです。

では、いったいどこを「規制改革」しようとしているかですが、最近の動向から見るに、おそらくは「混合診療解禁」と「メディカルツーリズムで外貨を稼ぐ」といったところでしょう。
これは、それぞれそれだけで本一冊書けそうな重さの話なので敢えて簡潔に言いますと、現状での「混合診療解禁」はむしろ患者の負担を増大させるだけの結果になる危険性が高いですし、メディカルツーリズムは日本の物価の高さと言語の壁、病院のアメニティの低さを考えれば絵に描いた餅です。しかし、そうした現実を無視して病院は今以上の経営努力を求められ、診療報酬を減らされて、労働環境がさらに悪化することになるでしょう。


そもそも、成長戦略に掲げられた「命のための技術革新」というのが意味不明です。医学や医療技術は命を守りません。命に関わるのはそれら知識や技術の実行者たる人です。だからこそ、医療制度改革や人員増を衆院選では掲げていたはずです。
菅首相は全自動医療ロボットでも開発する気なのでしょうか?


また、「いろいろな制約要因があり、十分にマーケットを開くことができていないと理解している。」という理解そのものが大きく間違っています。

日本において、医療や介護はマーケットであるのでしょうか?
水道水に対して、マーケットという言葉は使われません。マーケットというのは、「贅沢品」に対して用いられる概念です。
医療・介護をマーケットと見なすと言うことは、医療・介護は購入するものであるということであり、安定供給されるものではないと言うことです。
菅政権には、医療や介護は福祉であるという認識はないと思われます。
第一、仮にマーケット化できたとしても、「これからの世代」が生活に余裕がないのに、それで医療や介護が廃れこそすれ、潤うはずもないと言うことすら想像できないのでしょうか?


閣僚メンバーやこれまでの限られた情報から見る限り、科学技術や社会保障にあまりに暗いメンバーが性急に行った悪夢の事業仕分けそのままのノリで行く危険があります。
あの事業仕分けでは財務省の暗躍が後に暴露されましたが、菅政権が財務省の走狗となっていないことを祈るばかりです。

2010年6月6日日曜日

チーム医療の壁 後編

予想外に1ヶ月かかってしまいましたが、チーム医療の壁シリーズ、最終回です。
これで、このブログを始めた理由の8割くらいが終わってしまうのですがw
まずは伝えるべき事を伝えることに専念します。


これまでの中で、これからの医療体制を守るチーム医療には「他職種連携」「交代勤務制」があると言いましたが、そのどちらを実現するにも欠かせないものが一つあります。
それは、「国民(患者)の主体性」です。

どれだけ医学が発展しようが、どんな医療制度をしいていようが、医療者は結局のところ国民のライフサポーターでしかないのです。
医師・患者関係という言葉は、患者主体という意味と裏腹にその責任を医師に求めるときに使われてしまいますが、それは大きな間違いです。
その「いざというとき」に自分の生命・生活を守るために最適な手段として医療をどの様に利用するか、「普段から」国民一人一人が自己防衛として考えていなければ、医師患者関係など成立しないのです。


人は、必ず老い、病み、死んでいくモノです。
死ぬまで病院と無縁と言うことは、現代日本ではまずありえないということを、日本人は理解しなければなりません。
そして、医療というモノは軍隊と同じで、自分の都合の悪いときに使い捨てることもできない性格のモノだということを知る必要があります。


抽象的な話ばかりになってしまったので、そろそろ具体的な話に移りましょう。



日本でチーム医療が進まないのは、実は制度的な理由があります。それは日本医療の美点とされるフリーアクセスです。




情報というのは、集約化されているからこそ生きるものです。





病気になるたびに医療機関を変えられていては、医師は点でしか患者を把握できません。継続的な診察あってこそ点は線となり、まともな医療が行えるのです。





もちろん、病状によってはいつもと違う医療機関に行かざるをえないこともあります。そうした場合に力を発揮するのが、いつもの医療機関から発行される紹介状です。
こうした情報の連続性あってこそ線は面となり、医療システムがその真価を発揮できるのです。
この情報の連続性を守ることができるのは、患者自身でしかあり得ないのです。

「かかりつけ医を持って下さい」「紹介状を持ってきて下さい」というのは、病院のためではなく患者自身のためなのです。
自分は医療について素人であり、治療は医師に任せるというのであれば、最低限この程度の「自己責任」は果たすべきなのです。


逆に医療システムに頼らず、文字通りフリーアクセスで全てやるというのであれば、これだけの情報量を自己管理しなければまともな医療は受けられないという覚悟を持つ必要があります。
別に脅しているわけではなく、現実問題です。そして、これは決して不可能ではないのです。
以前、学生の時に留学中のアメリカ人の問診をしたことがあるのですが、その人の病歴と生活歴のプレゼンテーション能力には舌を巻きました。ベテランドクターの症例報告以上で、自己管理という言葉の意味を思い知りました。

かの自由の国は、その代償として自分の身を守ることも自己責任であり、その中で生き残った人間が社会の中心を構成しているのです。これは、日本はアメリカに勝てるわけがないと痛感したのをよく覚えています。
「フリー」というのは、そのぐらい重いものなのです。
権利を行使するからには、それに相応する責任を負わなければならないのです。
日本人のどれだけが、そうした自己責任を果たせているでしょうか?


またその一方で、自己責任さえ果たしていれば何をしてもいいわけではないのが医療です。
医療は患者個人のものではなく公共性の高いものです。
この「公共性」というのもくせ者なのですが…この言葉もたいていは医療者に無茶苦茶な責任や義務を押しつけるときに頻用されますが、それは明らかな誤用です。
「公共財」を守る責任は、その地域住民にあるのです。


例えば公園ですが、一人の子どもが遊具を延々占拠していれば教育されますし、真夜中に爆竹鳴らせばお巡りさんの出番です。
そうした当たり前のことが、何故か今の日本の病院では当たり前でなくなってしまっています。
公共財だからこそ、利用者がマナーを守らなければならないのです。 




これからの日本の医療はどうなるか
それを決めるのは、医療者ではなく、国民なのです