2010年6月20日日曜日

マニフェストに物申す! 民主党2010参院選正式版

民主党がマニフェストをHPにて公開したので、前回に続いて医療政策について鳩山政権と菅政権で何が違うのかを分析したいと思います。

まずは、先の衆院選で民主党が掲げていたマニフェストですが、

日本の医療に希望を作る
国の責任で医療制度を作り、持続させる

この二つが二本柱となっています。その為の方法として

社会保障制度の安定
予防医療の推進
医療の安心・納得・安全
国民皆保険制度の維持発展
医療提供体制の整備(今後15年間で「実動の医師数」を10万人増やす)
診療報酬(私たちは長期的には医療費を対GDP 比でOECD 平均の8.9%程度(現在日本は8.1%)まで引き上げることを目指すべきと考えています。そのために、まず、1.2兆円の予算を投入する案を考えました。)
各診療科・疾患対策

といったことが掲げられていました。
では、今度の参院選ではどの様になっているでしょう?
まずは見出し部分ですが

医療・介護、農業、住宅などの新たな成長産業
日本の先端医療技術を活かした国際医療交流の促進、生産・加工・流通までを一体的に担う農業の6次産業化、住宅のバリアフリー・耐震補強改修支援などにより潜在需要を掘り起こします。

ライフ・イノベーション
医療機器・医薬品のイノベーション、ICTと医療・介護産業の融合による遠隔医療、再生医療や介護ロボットの実用化などを支援します。

観光
訪日観光客3000万人の実現に向けた観光情報の戦略的発信、ビザ要件緩和などを進めます。むら・まちづくりと一体の多様な観光資源を活かした魅力ある観光地づくりや「ローカル・ホリデー制度」創設などを進めます。

EPA・FTA
アジアをはじめ各国とのEPA・FTAの交渉などを積極的に進めるとともに、投資規制の自由化・緩和などの国内制度改革に一体的に取り組みます。

となっております。
なんといいますか、衆院のマニフェストの残滓すら見ることができません…
ところで、ここで私が医療関連分野として観光やEPA・FTAを入れたことに疑問を持たれた方もいらっしゃるかも知れませんが、それは、霞ヶ関の動きを全くフォローできていないと言うことですので、是非ともお気をつけ下さい。
観光分野では海外からのメディカルツーリズムの誘致が計画されていますし、EPA・FTAでは条約に伴う看護師および介護士の移民が既に日本に入ってきています。
しかも、この二つは現在進行形の霞ヶ関および民主党の主要政策です。
マニフェストにそのことが触れられすらしていないというのは、このマニフェストは実際の政策を反映していない可能性があること既に示唆しています。
続いて詳細部分ですが、

4.子育て・教育
・出産育児一時金、不妊治療支援など出産にかかわる支援策を拡充します。

5.年金・医療・介護・障がい者福祉
・病気や高齢への不安を全力で減らしていきます。
・財源を確保して、持続可能な社会保障制度を構築します。
・後期高齢者医療制度は廃止し、2013年度から新しい高齢者医療制度をスタートさせます。
・診療報酬の引き上げに、引き続き取り組みます。
・地域の医師不足解消に向けて、医師を1.5倍に増やすことを目標に、医学部学生を増やします。看護師など医療従事者の増員に、引き続き取り組みます。
・新型インフルエンザ対策としてのワクチン接種体制の強化、がんの予防・検診体制の強化、肝炎治療に対する支援などに集中的に取り組みます。
・ヘルパーなどの給与の引き上げに引き続き取り組み、介護にあたる人材を確保します。
・在宅医療、訪問看護、在宅介護、在宅リハビリテーションなどを推進し、地域で安心して生活できる環境を整備するとともに、家族など実際に介護にあたっている人を支援します。
・自殺対策に積極的に取り組み、相談体制の充実、メンタルヘルス対策の推進、精神科医療の適切な受診環境の整備などを推進します。



となっておりますが、まぁ、細かい突っ込みをするとキリがないので鳩山政権で主要項目であった診療報酬と医学部定員増についてみてみましょう。
すでにいくつかのメディアで突っ込まれている通り、医学部定員増については衆院選では「今後15年間で「実動の医師数」を10万人増やす」であったのが「医師を1.5倍に増やすことを目標に」と、時間の点でも数の点においてもトーンダウンしています。
そして、実はそれ以上にトーンダウンしているのが、誰も突っ込んでいない診療報酬の方です。
当初から実現可能性は疑問視されていたものの、仮にも目標を掲げていた衆院の時と違い、今回は金額も期日も全く定めていません。これは、菅政権は診療報酬増額について統一見解を作れていないと考えておいていいでしょう。
先の診療報酬改訂の結果や、長妻大臣と足立政務官がすでに空気になっていることを見れば、民主党は診療報酬を上げる気はもうないのかも知れません。
つーか、速報の記者会見の時に言っていた「診療報酬の明確な方向性」とやらはどこ行った? 



さて、ここまでですでに問題だらけの医療マニフェストですが、それ以上の爆弾があります。
メディカルツーリズムとかEPA・FTAとか、そんなのがどうでもよくなるくらいの問題です。

このマニフェスト、現在民主党と霞ヶ関が進めている混合診療解禁に一言も触れていません。
この件については、是非とも東洋経済6/12号仙石国家戦略担当相インタビュー記事を参照して頂きたいのですが、このインタビューを私なりに要約させていただくと、

・日本の医療を開放型に転換する
・これまで官僚は責任をとってこなかった。だからこれからは特区に指定された病院が全責任を負って混合診療を行う。皆保険で基本的なところを守る一線さえあれば混合診療は許容される。
・現在の医療を守るために医療費全体をGDPの10%程度まで増やすべき

という感じです。
簡単に突っ込ませていただくなら、「日本の医療を開放型に転換する」というのは「現在の医療を守る」とは反しますし、医療費増は「これからの医療」に必要なものです。
官僚はこれまで責任をとらなかったから国はこれからも責任を負わないというのは暴論以外何者でもありませんし、
混合診療下でも皆保険は最後の一線を守るということを担保する制度はどこにもありません。

しかし、それよりも何よりも問題なのは、これだけのことを一経済誌のインタビューで回答しておきながら、マニフェストにはその存在自体触れられていないということです。衆院選の「国民皆保険制度の維持発展というマニフェストとは方針を180度転換になるかも知れないのにです。
これは、マニフェストに対する背信行為と言えるのではないでしょうか?



長くなったのでまとめます。
参院選の民主党の医療マニフェストは、衆院選の時に掲げられたものとは既に全くの別物です。
そして、このマニフェストには現在進行形で進められている重要政策が、全く反映されていません。
マニフェストにもインタビューにも言えることですが、現在の民主党政権は「中央の論理」であり、野党時代に散々謳っていた「国民目線」が欠如していると言えるでしょう。
そのせいか、今現在進行中の医療崩壊をどう止めるかが全く忘れ去られています。
これでは、日本の医療に未来はありません



次回、ブログではほとんどタブーとも言える混合診療問題について取り上げたいと思います。

2010年6月12日土曜日

マニフェストにもの申す! 民主党速報版2010

首相が替わって、民主党が参院選のマニフェストを発表したようです。
詳細は来週公開されるようですが、CBニュースの速報から今後の医療政策を読み解きたいと思います。

マニフェストには、2020年度までの平均経済成長率を名目で3%超、実質で2%を上回るようにするとの目標を設定。これを実現するための施策を盛り込んだ。医療・介護などの社会保障分野では、規制が成長を阻んでいるとして、規制緩和に取り組む姿勢を示した。 

―マニフェストの成長戦略に盛り込まれた「命のための技術革新」の項目について
 例えば、医療や介護分野は、日本は非常に技術力があるといわれているが、いろいろな制約要因があり、十分にマーケットを開くことができていないと理解している。そういった部分だ。

―社会保障費に関する書きぶり
 「医療、介護、障害者福祉」と項目が別になって、それぞれ非常に微妙な問題をはらんでいるので、単純に書き切れない部分もある。ただ、われわれは「強い社会保障」を目指しているので、特に診療報酬などはかなり明確な方向性をもって書いているとお考えいただいていいと思う。




診療報酬については来週の詳細版で「明確な方向性」とやらを見てから批評させて頂きたいと思いますが、ここまでで既にいくつかの問題を推測することができます。

まず、この報道では衆院選の時に医療分野で前面に出された「医師数・医療費をOECD並に増やす」という基本方針はまるで言及されておらず、医療に対する民主党の基本路線が変更されたと推測することができます。

先の衆院選では自民党に見切りをつけて民主党に票を入れた医療者が相当数いましたが、彼らは政策に票を入れたのであって、民主党に白紙委任状を与えたのではありません。
政策の基本路線が変更されるのであれば、政治理念的には、そのことを国民に問う=解散総選挙が必要なはずで、民主党上層部は既に、先の衆院選の意味を忘れている危険性があります。


さて、少々話が脱線してしまいましたが、この報道から見ることができる民主党のこれからの医療政策の基本路線は「規制緩和」であるようです。
自民党をぶっ壊すと言った小泉元首相と同じような漢字が並んでいて目新しさはないですが、それはつまり、医療にとってはあの惨事が再び訪れる危険性があると言うことです。


「医療・介護などの社会保障分野では、規制が成長を阻んでいる」とのことですが、病院の7割が赤字であったり、歯科医師の3割がワーキングプアだったり、老人ホームが設備投資する金がなくて耐震設計になってなかったり火災報知器がついてなかったりするのは、果たして規制のせいでしょうか?
医療・介護が成長できないのは、公定価格である診療報酬・介護報酬が低すぎることが原因です。
そうした問題を「規制改革」で解決しようとすると言うことは、菅政権では医療費のベースアップは見込めないと考えた方が良さそうです。

では、いったいどこを「規制改革」しようとしているかですが、最近の動向から見るに、おそらくは「混合診療解禁」と「メディカルツーリズムで外貨を稼ぐ」といったところでしょう。
これは、それぞれそれだけで本一冊書けそうな重さの話なので敢えて簡潔に言いますと、現状での「混合診療解禁」はむしろ患者の負担を増大させるだけの結果になる危険性が高いですし、メディカルツーリズムは日本の物価の高さと言語の壁、病院のアメニティの低さを考えれば絵に描いた餅です。しかし、そうした現実を無視して病院は今以上の経営努力を求められ、診療報酬を減らされて、労働環境がさらに悪化することになるでしょう。


そもそも、成長戦略に掲げられた「命のための技術革新」というのが意味不明です。医学や医療技術は命を守りません。命に関わるのはそれら知識や技術の実行者たる人です。だからこそ、医療制度改革や人員増を衆院選では掲げていたはずです。
菅首相は全自動医療ロボットでも開発する気なのでしょうか?


また、「いろいろな制約要因があり、十分にマーケットを開くことができていないと理解している。」という理解そのものが大きく間違っています。

日本において、医療や介護はマーケットであるのでしょうか?
水道水に対して、マーケットという言葉は使われません。マーケットというのは、「贅沢品」に対して用いられる概念です。
医療・介護をマーケットと見なすと言うことは、医療・介護は購入するものであるということであり、安定供給されるものではないと言うことです。
菅政権には、医療や介護は福祉であるという認識はないと思われます。
第一、仮にマーケット化できたとしても、「これからの世代」が生活に余裕がないのに、それで医療や介護が廃れこそすれ、潤うはずもないと言うことすら想像できないのでしょうか?


閣僚メンバーやこれまでの限られた情報から見る限り、科学技術や社会保障にあまりに暗いメンバーが性急に行った悪夢の事業仕分けそのままのノリで行く危険があります。
あの事業仕分けでは財務省の暗躍が後に暴露されましたが、菅政権が財務省の走狗となっていないことを祈るばかりです。

2010年6月6日日曜日

チーム医療の壁 後編

予想外に1ヶ月かかってしまいましたが、チーム医療の壁シリーズ、最終回です。
これで、このブログを始めた理由の8割くらいが終わってしまうのですがw
まずは伝えるべき事を伝えることに専念します。


これまでの中で、これからの医療体制を守るチーム医療には「他職種連携」「交代勤務制」があると言いましたが、そのどちらを実現するにも欠かせないものが一つあります。
それは、「国民(患者)の主体性」です。

どれだけ医学が発展しようが、どんな医療制度をしいていようが、医療者は結局のところ国民のライフサポーターでしかないのです。
医師・患者関係という言葉は、患者主体という意味と裏腹にその責任を医師に求めるときに使われてしまいますが、それは大きな間違いです。
その「いざというとき」に自分の生命・生活を守るために最適な手段として医療をどの様に利用するか、「普段から」国民一人一人が自己防衛として考えていなければ、医師患者関係など成立しないのです。


人は、必ず老い、病み、死んでいくモノです。
死ぬまで病院と無縁と言うことは、現代日本ではまずありえないということを、日本人は理解しなければなりません。
そして、医療というモノは軍隊と同じで、自分の都合の悪いときに使い捨てることもできない性格のモノだということを知る必要があります。


抽象的な話ばかりになってしまったので、そろそろ具体的な話に移りましょう。



日本でチーム医療が進まないのは、実は制度的な理由があります。それは日本医療の美点とされるフリーアクセスです。




情報というのは、集約化されているからこそ生きるものです。





病気になるたびに医療機関を変えられていては、医師は点でしか患者を把握できません。継続的な診察あってこそ点は線となり、まともな医療が行えるのです。





もちろん、病状によってはいつもと違う医療機関に行かざるをえないこともあります。そうした場合に力を発揮するのが、いつもの医療機関から発行される紹介状です。
こうした情報の連続性あってこそ線は面となり、医療システムがその真価を発揮できるのです。
この情報の連続性を守ることができるのは、患者自身でしかあり得ないのです。

「かかりつけ医を持って下さい」「紹介状を持ってきて下さい」というのは、病院のためではなく患者自身のためなのです。
自分は医療について素人であり、治療は医師に任せるというのであれば、最低限この程度の「自己責任」は果たすべきなのです。


逆に医療システムに頼らず、文字通りフリーアクセスで全てやるというのであれば、これだけの情報量を自己管理しなければまともな医療は受けられないという覚悟を持つ必要があります。
別に脅しているわけではなく、現実問題です。そして、これは決して不可能ではないのです。
以前、学生の時に留学中のアメリカ人の問診をしたことがあるのですが、その人の病歴と生活歴のプレゼンテーション能力には舌を巻きました。ベテランドクターの症例報告以上で、自己管理という言葉の意味を思い知りました。

かの自由の国は、その代償として自分の身を守ることも自己責任であり、その中で生き残った人間が社会の中心を構成しているのです。これは、日本はアメリカに勝てるわけがないと痛感したのをよく覚えています。
「フリー」というのは、そのぐらい重いものなのです。
権利を行使するからには、それに相応する責任を負わなければならないのです。
日本人のどれだけが、そうした自己責任を果たせているでしょうか?


またその一方で、自己責任さえ果たしていれば何をしてもいいわけではないのが医療です。
医療は患者個人のものではなく公共性の高いものです。
この「公共性」というのもくせ者なのですが…この言葉もたいていは医療者に無茶苦茶な責任や義務を押しつけるときに頻用されますが、それは明らかな誤用です。
「公共財」を守る責任は、その地域住民にあるのです。


例えば公園ですが、一人の子どもが遊具を延々占拠していれば教育されますし、真夜中に爆竹鳴らせばお巡りさんの出番です。
そうした当たり前のことが、何故か今の日本の病院では当たり前でなくなってしまっています。
公共財だからこそ、利用者がマナーを守らなければならないのです。 




これからの日本の医療はどうなるか
それを決めるのは、医療者ではなく、国民なのです

2010年5月31日月曜日

チーム医療の壁 中編

この一週間、おかしいくらいに出産が固まって更新が遅れてしまいましたが、前回の続きに行きたいと思います

今回は「医師のためのチーム医療」を取り上げたいと思います。
わかりやすく言ってしまうと、主治医制ではなくチーム制(交替勤務制)の採用と言うことです。

主治医制ですと、一患者一医師ですので、24時間365日その患者に責任を負うことになってしまいます。
ドラマ的な医師患者関係としてはある意味理想ではありますが、医療システムの維持という観点から行くと、医師の疲弊という避けられない問題があります。


EUではオンコール含め週48時間勤務と決まってるそうですが(http://lohasmedical.jp/news/2009/09/08110500.php)、そうした労基法準拠の労働環境を確立するにはやはりこのチーム制の導入は避けては通れない関門です。
逆に、こうしたことができていないからこそ、日本のサボタージュ型勤務医不足が起きたと言えます。


何故日本で交替勤務制が広がらないかというと、やはり、一つには主治医制に固執する上級医師が(特に地方で)多いのが原因だと思います。
自己満足でされる分には結構だと思いますが、それを他の医師に強要していいものなのか。
核家族化と夫婦共働きが当たり前になった日本で、そうした労働形態が「比較的普通の人間が医師になる、これからの世代」に持続可能なものかどうかという検討は、是非一度されるべきだと思います。
オンコール抜きで過労死ラインを平気で超えているような今の医師の勤務態勢は、10年20年先を考えたシステムとはとても言えないでしょう。


そうした精神論と共に交替勤務制ができない原因として、病床数が多すぎることが上げられます。
異論もあることを承知の上でOECDの病床数比較のデータを出させていただきますが(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/01/dl/s0129-4c.pdf)、日本は医師数に対して病床数が多すぎるという点においては大方の意見は一致すると思います。
30床の病棟を5人で診ているのならまだチームを2つに分けることも可能でしょうが、これが3人しかいなければ、必然的に主治医制しか選択枝が存在しなくなってしまいます。


医師数というのは、単純にその地域にいる人数でカウントしてはいけないのです。同じ病棟に所属していることが戦力として重要なのです。

以前、冗談半分で崩壊病院にランチェスターの法則(http://ja.wikipedia.org/wiki/ランチェスターの法則)を適応してみたことがあるのですが、意外と面白いくらいに第二法則が当たってまして、やはり集約化は現代医療において重要な作戦であることが確認できました。
病院と病床数の整理は必須であると考えられます。


さらに問題なのは、技術的な問題です。交替勤務制を導入するには、誰がやってもある程度の質が維持できることが前提です。
言うまでもないことですが、知識・技術が一定以上でかつお互いの意識が共有されてない人間とはチームを組めません。
そのために医療の標準化、ガイドラインやパスの作成、カンファレンスの開催は必須でしょう。
しかし、今の日本では医療の標準化はまだ完成されていません。

また、情報や思考の共有化には電子カルテが強力な武器になり得るのですが、日本は規格が統一されていなかったり、医師が「他の医師が読むこと」を前提に書いていなかったりで、未だにメモ帳の電子化程度のものでしかないという問題もあります。
こういったところも標準化を徹底する必要があるでしょう。

2010年5月16日日曜日

チーム医療の壁 前編

「チーム医療」という言葉は、私が医学部受験生の頃からよく言われていました。
しかし、それから10年ほどたった現在でも、チーム医療が全国的に広まったという話は聞きません
果たしてこれは、何故なのでしょうか?


そもそも、「チーム医療」とはなんなのでしょうか?
まず、教科書的な定義をするならば、
「医師中心の医療体制を改め、患者を中心として各医療関係者が対等な関係で連携するもの」
というところでしょう。
また、近年医療崩壊対策として出される定義として
「一患者一主治医という医師個人に負担のかかる体制を改め、複数主治医制を導入するもの」
というものもあります。
極論すれば、「患者のためのチーム医療」「医師のためのチーム医療」があるということです。

今回は、この「患者のためのチーム医療」について考えたいと思います。


「患者のためのチーム医療」は、講演などではパターナリズムへの反省として語られることが多いように感じます。
確かに、医師と患者が1対1になることを避ければ、パターナリズムの危険性は減少するでしょう。
ですが、これは日本では明らかに絵に描いた餅以外の何ものでもありません。

まずは現実的な問題として、そもそもチームを組む相手がいないことがあります。
日本は海外に比べてコメディカルの数(医療従事者数)が少ないことはよく言われますが、数の問題以前にコメディカルの職種が少ないのです。
これに関しては、国が国家資格を増やしてくれることを願うしかありません。

また、病院の経済的な問題もあります。
診療報酬というのは、基本的に医師の医行為に対して支払われます。
つまり、1患者に関わる人数が増えれば増えるほど、人件費で病院が赤字になる危険があるのです。
同じ病名の患者でも、軽症を見る市中病院では黒字でも、重症を見る大学病院では真っ赤っかになるというのは実際にある話です。
また、私のいる病院でも各病棟にクラークが配置されましたが、クラークを配置することによる診療報酬の増額は、クラークの人件費分にもなってないということでした。

ただでさえ病院の7割が赤字の現状では、直接報酬に結びつかないどころか赤字源となりかねない医療従事者が増えるわけがありません。
せめて、人件費をペイできるくらいは診療報酬を上げてくれない限り、この問題が解決されるわけがありません。

さらにどうにもならないのが、法律的問題です。
法律的には医師以外の医療者は、医師のサポート役として設定されているのです。
先ほど、私は診療報酬は医師の医行為に対して支払われるものだといいましたが、それもこういう背景があるからです。
医行為を行う看護師としてナースプラクティショナー(NP)が検討されていますが、NPですらその責任は医師が負うことが前提となっています。
法的に最終責任を医師が負うことになっていては、「対等なチーム」など生まれようはずもありません。
チーム医療を推進するためには、行為の分散化と共に、責任の分担も必要なはずです。


こうした、国の政策の問題が解決されない限り、どれだけ理想論を語っても、日本で「患者のためのチーム医療」ができるはずもありません。
それどころか、現状でむやみにチームを形成する職種を増やせば、勤務医の負担が増大するばかりとなり、かえって患者の不利益になる可能性すらあるのです。

2010年5月9日日曜日

医師の労働力

私が医療について話をするとき、結局何が言いたいのかがわかりにくいと言われることがあります
ですが、私が医療改革について話をするときに関しては、そのテーマはただ一つです
「一般的な人間の精神でできる医療体制をつくらなくてはならない」
といっているだけです

その理由についてはいくつかあるのですが、今回は単純な算数で、極めて現実的な危機を説明したいと思います

これは、本当に医療体制の根管に関わる問題です
しかし、そのことに気づいている人は、この国ではまだ極めて限られているようです
何故なら、研究者や官僚といった人たちは、医師のことは調べていても医学生のことは調べていないからです
そのことによって、対策が6年も遅れてしまうということに気づいている人は、何故かあまりいないようです

私が医学部に入学したその時は、まだ医師過剰論が国民的な常識で、医学部定員は減らされていました。
その時と現在では、1学年の人口が3割ほど違うようです。
これだけ聞くと、医師不足はなんの問題もなく時間が解消してくれると思う方も多いでしょう。
しかし、この間に女子の割合も激増しているのです


女性医師の労働力は、体力や育児休業を考えて欧米では0.8前後でカウントされるようです
一方、日本はずっと男性と同じ1とカウントしていました
これまでは女性医師は少なかったので、誤差は大したものではなかったと思いますが、これからはそうはいきません
舛添前大臣は、日本の現状は女性医師を0.5とカウントするべきかも知れないと言われていたので、それに倣ってみたいと思います


私が入学したときの人数を100としましょう。
私の学年の男女比は8:2だったので、労働力は
80×1+20×0.5=90です

一方、今の学生の人数は130となります
問題は男女比ですが、女子は4~5割というところでしょうか?
仮に半々としますと、労働力は
65×1+65×0.5=97.5です


おや?医学部生は3割も増えたのに、医師の労働力は1割も増えてませんね?
実際には厚労省が国試合格者数を3割も増やしてくれるとは思えないので、
「医学部定員は増やした。しかし、医師の労働力は改善されなかった」
という問題が発生しうることは容易に想像できます
しかも、総数としての労働力は変わらず人数だけ増えているので、実際に人事を預かる現場は今以上の混乱に巻き込まれるでしょう
 

この予測された未来を学会として真っ先に予言したのは、産婦人科です




病院出産、10年後に20%減 産婦人科医会が推計

 病院勤務の産科医の就労環境を改善しなければ、10年後に病院(20床以上)で扱える出産数は、2009年の約54万件から約20%減る可能性があるとの推計を、日本産婦人科医会常務理事の中井章人・日本医科大教授がまとめた。
 女性医師が子育てなどのために、労働環境が過酷な出産診療から離れると予測されるのが理由で、中井教授は「(環境の)迅速な改善が必要」としている。
<略>
2010/04/22 18:20  共同通信


言うまでもありませんが、医学部に女子がこれだけ増えている以上、これは産婦人科だけに起きる問題ではありません
全ての医療機関、特に大学病院など高度医療部門が危機にさらされていると考えて手を打つべきです


勘違いされると困るので言っておきますが、別にこれは男尊女卑とか、女性医師厚遇とかそんな問題ではありません
私が知っているだけでも、非医療者と結婚した3人の男性医師が、
「大学病院辞めますか?それとも家族止めますか?」
という決断を迫られて大学病院辞めて、今は充実したQOMLを満喫されているようです
過労死ラインを楽勝で超えるような医師の非常識な過労は、男性なら耐えられるとか、もはやそういう次元ではないのです


この状況を打開するには、「全ての医師が家庭を持ち、子育てできる環境をつくる」以外にありません


仮に男性医師の労働力を0.9、女性医師を0.7とできれば、今の医学生が医師となったときの労働力は
65×0.9+65×0.7=104
となり、今よりも労働力を2割ほど増やすことができます

そうした環境をつくる為には、医師よりも労働単価が安く、養成が比較的容易なコメディカルを早急に創設・育成する必要があるでしょう



しかし、そこには日本でチーム医療が未だに広まらないという問題が壁となって立ちはだかります

2010年5月2日日曜日

医学という宗教の終わり、医療というシステムのはじまり

医療とは、そもそもなんなのだろうか? 


そのはじまりは、おそらくは
「苦しむ隣人を救いたい」 
という、純粋な祈りの一つだったのだろう


そして、原始宗教から魔術が生まれ、科学へと発展したように、
その祈りは、経験則から医学へと発展した



しかし一方で、ヨーロッパにおいては宗教が医学の発展を阻害した
解剖学の誕生は13世紀までかかり、紀元前4世紀のヒポクラテスの誓いが医師のあるべき姿として復活したのは19世紀であった
書物や遺跡から推定される紀元前の医学は、決して教会の支配下にあるヨーロッパに劣るものではなかった


しかし、それ以上の災厄があった
宗教は医学と医療を切り離してしまった
政治的に医学を消滅するわけにはいかなかったが、魂は宗教の専売特許でなければならなかった


さらに、江戸末期から明治時代にかけて、日本は医学だけでなくこうした医学上の哲学まで輸入してしまった
この背景には、当時の政府の高度な政治判断があったことが明らかにされている


そうして、 医師は政治家もしくは医学者となり、人体を対象とすることとなった

「苦しむ人を救いたい」という願いは、どこかへ行ってしまった


それでも、20世紀はよかった
20世紀の医学の発展は、人体を救うことが人間を救うことになっていたからだ
また、魂の問題には各宗教が対応していた
もっとも、その多くは「看取り」であっただろうが…


しかし、20世紀末に、話は変わってきた




抗生物質によって撲滅できると思われた感染症は、HIVやMRSA、SARSの登場により永遠に共存しなければならない相手であると思い知らされることとなった
遺伝子解析と生物製剤の発展により対抗できると思われた悪性腫瘍も、ヒトゲノムを解析しても人間のことは解析できなかったという絶望的な結末と、治療薬の高額化という大きな壁が立ちはだかった
人工臓器や再生医療の開発は予想以上の困難を極め、未だに人の死を前提とする移植が世界的に広がっている


21世紀に入り、人間は人間のことを理解できていないという当たり前の結末が、医学の限界が、
医学は医療ではなかった
ということを、露呈させた

医学の研究者が減少しているのは、そうした背景もあるのだろう
そして、医師の医療観が崩壊し、世界の医療界にバーンアウト症候群が広がった



また、患者側にも大きな変化があった
人命を尊重しすぎたために個人の人生観がないがしろにされたことに患者が拒絶反応をおこし、1980年頃に患者の権利が主張されだした
(日本では患者の権利宣言は制定されておらず、その間に行きすぎた権利を主張するモンスターペイシェント問題が先行し、難航している)
さらに宗教離れが進み、医療者は魂の問題にまで対応を求められることになった


この数十年の間に、これだけのパラダイムシフトがあったことに、この国でどれだけの人が気づいているのだろうか?


こうした中で、先進国では医療崩壊が広がった
アメリカは医療を契約ビジネスとし、ヨーロッパは福祉として制限された医療を行うこととなった
欧米は、医療をシステム化することで、医療者個人への負担を軽減するという生き残り策をとったのである
時代の変化に合わせて、医療もその姿を変えたのである

一方で、医師の個人的使命感に頼り切り、物理的に限界ギリギリで運用されていた日本の医療体制は、なんの対策もとられず、あっさりとその限界を超えた
医療体制の再構築、労働環境の整備といった対症療法は確かに重要である
しかし、


「日本の医療とはなんなのか」 


という問題に明確な解を政治として出さない限り、 日本の医療が再生することはあり得ないだろう


また、私たち医師も向かい合わねばならない問題がある
人間は死ぬ生き物であるということが再確認された現代において、医師は迷走し、その結果として医療が崩壊していることもまた事実である


「医師は、人間の何を救うのか」


という命題に解を出さなければならないのではないか?