2010年6月29日火曜日

混合診療の論点 前編

混合診療は非常に難しい問題であり、議論しても結論の出ないのは毎度のことである。
 しかし、何故そんなことになるか、何故議論がかみ合わないのかという問題をちゃんと分析した文章を私は見たことがない。
今回はそこに切り込んで見たいと思う。


まず混合診療の話が何故混乱するかであるが、私はその理由は、「混合診療」という言葉をあまりに無用心に使っているからではないかと思う。色々な議論をみていて思うのだが、「どんな」混合診療を想定しているのか確認せず議論しているのだ。


実際、多少作為的な日経メディカルのアンケートでは賛成が59%になっている一方、同時期に中立的にとられたm3では賛成が44%と多いものの反対28%、どちらとも言えない28%となっており、医師間ですら問題の共有ができていないことが予想できる。
(余談だが、日経メディカルの一般人では7割が混合診療賛成になってるが、日経メディカル会員というところからして自由診療になってもそう困らない収入を持つ層である。これをもって患者の総意と言うことはできない)



まず混合診療の定義だが、
「保険診療と自由診療を同一医療機関で併用可能にするもの」
と理解しておけば間違いはないだろう。
ここを間違って理解されてると先の話ができなくなるので、確実に理解していただきたい。

つまり、病院Aで保険診療中に病院Bで自由診療をすることは混合診療には当たらず、現在でも可能なのである。
極端な話、メディカルクラスターにして保険診療用の病院と自由診療用の病院を併設して事実上の混合診療を行う事は現在でも可能なはずだ。実際、似たような事をやってる先生もいるらしい。

また、先進医療という制度もある。保険診療化のテストとして限定的に混合診療を認める制度なのだが、現実には自由診療分は校費で、つまり赤字の大学病院が自腹切ってやってる事がほとんどだろう。このため、「日本は既に混合診療を行っている」という主張は、間違いではないが正しくもなく、非常にわかりにくい制度になってしまっている。

この様に「混合診療」というのは非常に限定的な定義であり、ある意味既におこなわれているのである。
その事を知って頂いた上で、本題に入りたい。


では、混合診療の「何を」解禁すると言っているかだが、実はそこが問題なのだ。

恐らく、多くの医師が無意識に考えている混合診療は、先進医療の延長にあるものだ。つまり、現在の保険診療は堅持したままで、保険適応される前の先端医療を日本でできるようにしようというものである。

確かにこれが理想的に運用されるなら医療の安全性と先進性を確保できる。
だが、逆にこれによって、医療費削減の名の下に保険診療が進歩しなくなってしまう可能性や、製薬企業が日本での保険申請を行わなくなる可能性があるのも紛れもない事実であり、それが混合診療反対派の論拠となっている。


 

医師にとっての混合診療解禁の賛否は、1人でも多くに最高の医療を提供するか、全ての国民に一定の医療を保証するかという問題なのだ。
いってみれば、サービスとしてみるか、福祉としてみるかの違いである。
社会保障としての最終目標が違うのだから、この混合診療の賛否を同列に議論しても結論が出ないのは当然なのである。


しかし、ここで敢えて私見を述べさせていただくなら、これは混合診療反対派の論に分がある。
現在の保険診療下でさえ支払いができず治療中断があるのに、自由診療を拡大するというのは現実的な話だろうか?
また、自由診療には高額療養費の補助もない事を忘れてはならない。
混合診療解禁は、どう考えても患者負担は増えるだろう。
そうなったとき、医師は、金がないなら保険診療だけでやりましょうと言えるのだろうか?

現在、大学が校費で治療を行い、校費が不足したために寄付金を求めればマスコミにバッシングされているのが現実である。
であるならば、大学など高度医療機関は身を削って自由診療をボランティアでやりかねない。
それは一見美談であるが、その先にあるのはさらなる勤務医の環境悪化であり、長期的には日本医療を殺す毒となるだろう。
そうなれば、日本から高度医療の火が消えてしまう。

では逆に、病院側が自由診療なんだから患者が勝手にすればいいと言ったとき、どうなるだろうか?
言うまでもなく、患者とその家族は必死で医療費を集めてくるだろう。
その結果、アメリカの様に医療費が個人破産の主因になるのは間違いあるまい。
渡航臓器移植のために募金を集めているところがよく報道されているが、それが自由診療のための募金にすり替わるだけだろう。


では、そうならない事が担保されれば、一定の条件が満たされれば医師の多くが混合診療を認めるだろうか?
おそらくはその通りだろう。
しかし、だからといって「総論賛成、各論反対」と単純に言うわけにはいかないのだ。


何故なら、官僚は医師とは全く違う混合診療解禁を描いているからである。

2010年6月20日日曜日

マニフェストに物申す! 民主党2010参院選正式版

民主党がマニフェストをHPにて公開したので、前回に続いて医療政策について鳩山政権と菅政権で何が違うのかを分析したいと思います。

まずは、先の衆院選で民主党が掲げていたマニフェストですが、

日本の医療に希望を作る
国の責任で医療制度を作り、持続させる

この二つが二本柱となっています。その為の方法として

社会保障制度の安定
予防医療の推進
医療の安心・納得・安全
国民皆保険制度の維持発展
医療提供体制の整備(今後15年間で「実動の医師数」を10万人増やす)
診療報酬(私たちは長期的には医療費を対GDP 比でOECD 平均の8.9%程度(現在日本は8.1%)まで引き上げることを目指すべきと考えています。そのために、まず、1.2兆円の予算を投入する案を考えました。)
各診療科・疾患対策

といったことが掲げられていました。
では、今度の参院選ではどの様になっているでしょう?
まずは見出し部分ですが

医療・介護、農業、住宅などの新たな成長産業
日本の先端医療技術を活かした国際医療交流の促進、生産・加工・流通までを一体的に担う農業の6次産業化、住宅のバリアフリー・耐震補強改修支援などにより潜在需要を掘り起こします。

ライフ・イノベーション
医療機器・医薬品のイノベーション、ICTと医療・介護産業の融合による遠隔医療、再生医療や介護ロボットの実用化などを支援します。

観光
訪日観光客3000万人の実現に向けた観光情報の戦略的発信、ビザ要件緩和などを進めます。むら・まちづくりと一体の多様な観光資源を活かした魅力ある観光地づくりや「ローカル・ホリデー制度」創設などを進めます。

EPA・FTA
アジアをはじめ各国とのEPA・FTAの交渉などを積極的に進めるとともに、投資規制の自由化・緩和などの国内制度改革に一体的に取り組みます。

となっております。
なんといいますか、衆院のマニフェストの残滓すら見ることができません…
ところで、ここで私が医療関連分野として観光やEPA・FTAを入れたことに疑問を持たれた方もいらっしゃるかも知れませんが、それは、霞ヶ関の動きを全くフォローできていないと言うことですので、是非ともお気をつけ下さい。
観光分野では海外からのメディカルツーリズムの誘致が計画されていますし、EPA・FTAでは条約に伴う看護師および介護士の移民が既に日本に入ってきています。
しかも、この二つは現在進行形の霞ヶ関および民主党の主要政策です。
マニフェストにそのことが触れられすらしていないというのは、このマニフェストは実際の政策を反映していない可能性があること既に示唆しています。
続いて詳細部分ですが、

4.子育て・教育
・出産育児一時金、不妊治療支援など出産にかかわる支援策を拡充します。

5.年金・医療・介護・障がい者福祉
・病気や高齢への不安を全力で減らしていきます。
・財源を確保して、持続可能な社会保障制度を構築します。
・後期高齢者医療制度は廃止し、2013年度から新しい高齢者医療制度をスタートさせます。
・診療報酬の引き上げに、引き続き取り組みます。
・地域の医師不足解消に向けて、医師を1.5倍に増やすことを目標に、医学部学生を増やします。看護師など医療従事者の増員に、引き続き取り組みます。
・新型インフルエンザ対策としてのワクチン接種体制の強化、がんの予防・検診体制の強化、肝炎治療に対する支援などに集中的に取り組みます。
・ヘルパーなどの給与の引き上げに引き続き取り組み、介護にあたる人材を確保します。
・在宅医療、訪問看護、在宅介護、在宅リハビリテーションなどを推進し、地域で安心して生活できる環境を整備するとともに、家族など実際に介護にあたっている人を支援します。
・自殺対策に積極的に取り組み、相談体制の充実、メンタルヘルス対策の推進、精神科医療の適切な受診環境の整備などを推進します。



となっておりますが、まぁ、細かい突っ込みをするとキリがないので鳩山政権で主要項目であった診療報酬と医学部定員増についてみてみましょう。
すでにいくつかのメディアで突っ込まれている通り、医学部定員増については衆院選では「今後15年間で「実動の医師数」を10万人増やす」であったのが「医師を1.5倍に増やすことを目標に」と、時間の点でも数の点においてもトーンダウンしています。
そして、実はそれ以上にトーンダウンしているのが、誰も突っ込んでいない診療報酬の方です。
当初から実現可能性は疑問視されていたものの、仮にも目標を掲げていた衆院の時と違い、今回は金額も期日も全く定めていません。これは、菅政権は診療報酬増額について統一見解を作れていないと考えておいていいでしょう。
先の診療報酬改訂の結果や、長妻大臣と足立政務官がすでに空気になっていることを見れば、民主党は診療報酬を上げる気はもうないのかも知れません。
つーか、速報の記者会見の時に言っていた「診療報酬の明確な方向性」とやらはどこ行った? 



さて、ここまでですでに問題だらけの医療マニフェストですが、それ以上の爆弾があります。
メディカルツーリズムとかEPA・FTAとか、そんなのがどうでもよくなるくらいの問題です。

このマニフェスト、現在民主党と霞ヶ関が進めている混合診療解禁に一言も触れていません。
この件については、是非とも東洋経済6/12号仙石国家戦略担当相インタビュー記事を参照して頂きたいのですが、このインタビューを私なりに要約させていただくと、

・日本の医療を開放型に転換する
・これまで官僚は責任をとってこなかった。だからこれからは特区に指定された病院が全責任を負って混合診療を行う。皆保険で基本的なところを守る一線さえあれば混合診療は許容される。
・現在の医療を守るために医療費全体をGDPの10%程度まで増やすべき

という感じです。
簡単に突っ込ませていただくなら、「日本の医療を開放型に転換する」というのは「現在の医療を守る」とは反しますし、医療費増は「これからの医療」に必要なものです。
官僚はこれまで責任をとらなかったから国はこれからも責任を負わないというのは暴論以外何者でもありませんし、
混合診療下でも皆保険は最後の一線を守るということを担保する制度はどこにもありません。

しかし、それよりも何よりも問題なのは、これだけのことを一経済誌のインタビューで回答しておきながら、マニフェストにはその存在自体触れられていないということです。衆院選の「国民皆保険制度の維持発展というマニフェストとは方針を180度転換になるかも知れないのにです。
これは、マニフェストに対する背信行為と言えるのではないでしょうか?



長くなったのでまとめます。
参院選の民主党の医療マニフェストは、衆院選の時に掲げられたものとは既に全くの別物です。
そして、このマニフェストには現在進行形で進められている重要政策が、全く反映されていません。
マニフェストにもインタビューにも言えることですが、現在の民主党政権は「中央の論理」であり、野党時代に散々謳っていた「国民目線」が欠如していると言えるでしょう。
そのせいか、今現在進行中の医療崩壊をどう止めるかが全く忘れ去られています。
これでは、日本の医療に未来はありません



次回、ブログではほとんどタブーとも言える混合診療問題について取り上げたいと思います。

2010年6月12日土曜日

マニフェストにもの申す! 民主党速報版2010

首相が替わって、民主党が参院選のマニフェストを発表したようです。
詳細は来週公開されるようですが、CBニュースの速報から今後の医療政策を読み解きたいと思います。

マニフェストには、2020年度までの平均経済成長率を名目で3%超、実質で2%を上回るようにするとの目標を設定。これを実現するための施策を盛り込んだ。医療・介護などの社会保障分野では、規制が成長を阻んでいるとして、規制緩和に取り組む姿勢を示した。 

―マニフェストの成長戦略に盛り込まれた「命のための技術革新」の項目について
 例えば、医療や介護分野は、日本は非常に技術力があるといわれているが、いろいろな制約要因があり、十分にマーケットを開くことができていないと理解している。そういった部分だ。

―社会保障費に関する書きぶり
 「医療、介護、障害者福祉」と項目が別になって、それぞれ非常に微妙な問題をはらんでいるので、単純に書き切れない部分もある。ただ、われわれは「強い社会保障」を目指しているので、特に診療報酬などはかなり明確な方向性をもって書いているとお考えいただいていいと思う。




診療報酬については来週の詳細版で「明確な方向性」とやらを見てから批評させて頂きたいと思いますが、ここまでで既にいくつかの問題を推測することができます。

まず、この報道では衆院選の時に医療分野で前面に出された「医師数・医療費をOECD並に増やす」という基本方針はまるで言及されておらず、医療に対する民主党の基本路線が変更されたと推測することができます。

先の衆院選では自民党に見切りをつけて民主党に票を入れた医療者が相当数いましたが、彼らは政策に票を入れたのであって、民主党に白紙委任状を与えたのではありません。
政策の基本路線が変更されるのであれば、政治理念的には、そのことを国民に問う=解散総選挙が必要なはずで、民主党上層部は既に、先の衆院選の意味を忘れている危険性があります。


さて、少々話が脱線してしまいましたが、この報道から見ることができる民主党のこれからの医療政策の基本路線は「規制緩和」であるようです。
自民党をぶっ壊すと言った小泉元首相と同じような漢字が並んでいて目新しさはないですが、それはつまり、医療にとってはあの惨事が再び訪れる危険性があると言うことです。


「医療・介護などの社会保障分野では、規制が成長を阻んでいる」とのことですが、病院の7割が赤字であったり、歯科医師の3割がワーキングプアだったり、老人ホームが設備投資する金がなくて耐震設計になってなかったり火災報知器がついてなかったりするのは、果たして規制のせいでしょうか?
医療・介護が成長できないのは、公定価格である診療報酬・介護報酬が低すぎることが原因です。
そうした問題を「規制改革」で解決しようとすると言うことは、菅政権では医療費のベースアップは見込めないと考えた方が良さそうです。

では、いったいどこを「規制改革」しようとしているかですが、最近の動向から見るに、おそらくは「混合診療解禁」と「メディカルツーリズムで外貨を稼ぐ」といったところでしょう。
これは、それぞれそれだけで本一冊書けそうな重さの話なので敢えて簡潔に言いますと、現状での「混合診療解禁」はむしろ患者の負担を増大させるだけの結果になる危険性が高いですし、メディカルツーリズムは日本の物価の高さと言語の壁、病院のアメニティの低さを考えれば絵に描いた餅です。しかし、そうした現実を無視して病院は今以上の経営努力を求められ、診療報酬を減らされて、労働環境がさらに悪化することになるでしょう。


そもそも、成長戦略に掲げられた「命のための技術革新」というのが意味不明です。医学や医療技術は命を守りません。命に関わるのはそれら知識や技術の実行者たる人です。だからこそ、医療制度改革や人員増を衆院選では掲げていたはずです。
菅首相は全自動医療ロボットでも開発する気なのでしょうか?


また、「いろいろな制約要因があり、十分にマーケットを開くことができていないと理解している。」という理解そのものが大きく間違っています。

日本において、医療や介護はマーケットであるのでしょうか?
水道水に対して、マーケットという言葉は使われません。マーケットというのは、「贅沢品」に対して用いられる概念です。
医療・介護をマーケットと見なすと言うことは、医療・介護は購入するものであるということであり、安定供給されるものではないと言うことです。
菅政権には、医療や介護は福祉であるという認識はないと思われます。
第一、仮にマーケット化できたとしても、「これからの世代」が生活に余裕がないのに、それで医療や介護が廃れこそすれ、潤うはずもないと言うことすら想像できないのでしょうか?


閣僚メンバーやこれまでの限られた情報から見る限り、科学技術や社会保障にあまりに暗いメンバーが性急に行った悪夢の事業仕分けそのままのノリで行く危険があります。
あの事業仕分けでは財務省の暗躍が後に暴露されましたが、菅政権が財務省の走狗となっていないことを祈るばかりです。

2010年6月6日日曜日

チーム医療の壁 後編

予想外に1ヶ月かかってしまいましたが、チーム医療の壁シリーズ、最終回です。
これで、このブログを始めた理由の8割くらいが終わってしまうのですがw
まずは伝えるべき事を伝えることに専念します。


これまでの中で、これからの医療体制を守るチーム医療には「他職種連携」「交代勤務制」があると言いましたが、そのどちらを実現するにも欠かせないものが一つあります。
それは、「国民(患者)の主体性」です。

どれだけ医学が発展しようが、どんな医療制度をしいていようが、医療者は結局のところ国民のライフサポーターでしかないのです。
医師・患者関係という言葉は、患者主体という意味と裏腹にその責任を医師に求めるときに使われてしまいますが、それは大きな間違いです。
その「いざというとき」に自分の生命・生活を守るために最適な手段として医療をどの様に利用するか、「普段から」国民一人一人が自己防衛として考えていなければ、医師患者関係など成立しないのです。


人は、必ず老い、病み、死んでいくモノです。
死ぬまで病院と無縁と言うことは、現代日本ではまずありえないということを、日本人は理解しなければなりません。
そして、医療というモノは軍隊と同じで、自分の都合の悪いときに使い捨てることもできない性格のモノだということを知る必要があります。


抽象的な話ばかりになってしまったので、そろそろ具体的な話に移りましょう。



日本でチーム医療が進まないのは、実は制度的な理由があります。それは日本医療の美点とされるフリーアクセスです。




情報というのは、集約化されているからこそ生きるものです。





病気になるたびに医療機関を変えられていては、医師は点でしか患者を把握できません。継続的な診察あってこそ点は線となり、まともな医療が行えるのです。





もちろん、病状によってはいつもと違う医療機関に行かざるをえないこともあります。そうした場合に力を発揮するのが、いつもの医療機関から発行される紹介状です。
こうした情報の連続性あってこそ線は面となり、医療システムがその真価を発揮できるのです。
この情報の連続性を守ることができるのは、患者自身でしかあり得ないのです。

「かかりつけ医を持って下さい」「紹介状を持ってきて下さい」というのは、病院のためではなく患者自身のためなのです。
自分は医療について素人であり、治療は医師に任せるというのであれば、最低限この程度の「自己責任」は果たすべきなのです。


逆に医療システムに頼らず、文字通りフリーアクセスで全てやるというのであれば、これだけの情報量を自己管理しなければまともな医療は受けられないという覚悟を持つ必要があります。
別に脅しているわけではなく、現実問題です。そして、これは決して不可能ではないのです。
以前、学生の時に留学中のアメリカ人の問診をしたことがあるのですが、その人の病歴と生活歴のプレゼンテーション能力には舌を巻きました。ベテランドクターの症例報告以上で、自己管理という言葉の意味を思い知りました。

かの自由の国は、その代償として自分の身を守ることも自己責任であり、その中で生き残った人間が社会の中心を構成しているのです。これは、日本はアメリカに勝てるわけがないと痛感したのをよく覚えています。
「フリー」というのは、そのぐらい重いものなのです。
権利を行使するからには、それに相応する責任を負わなければならないのです。
日本人のどれだけが、そうした自己責任を果たせているでしょうか?


またその一方で、自己責任さえ果たしていれば何をしてもいいわけではないのが医療です。
医療は患者個人のものではなく公共性の高いものです。
この「公共性」というのもくせ者なのですが…この言葉もたいていは医療者に無茶苦茶な責任や義務を押しつけるときに頻用されますが、それは明らかな誤用です。
「公共財」を守る責任は、その地域住民にあるのです。


例えば公園ですが、一人の子どもが遊具を延々占拠していれば教育されますし、真夜中に爆竹鳴らせばお巡りさんの出番です。
そうした当たり前のことが、何故か今の日本の病院では当たり前でなくなってしまっています。
公共財だからこそ、利用者がマナーを守らなければならないのです。 




これからの日本の医療はどうなるか
それを決めるのは、医療者ではなく、国民なのです