2010年8月30日月曜日

官製医局の行き先

1週間前のネタですが、重要なことなので取り上げさせていただきます


医師不足解消へ、都道府県に派遣センター 厚労省が構想
2010年8月22日3時5分
厚生労働省は医師不足に悩む病院に医師を派遣する「地域医療支援センター」(仮称)を各都道府県に設置する構想をまとめた。事業費約20億円を来年度予算の概算要求に盛り込む。医師不足の病院に医師を送る仕組みを国が全国的に整えるのは初めて。
医師が不足している地方では、地元大学の医学部に、卒業後に地元で一定期間働く意思を示している人を対象にした「地域枠」を設ける動きが広がっている。そこでセンターは、地域枠出身の新卒の医師らを病院に派遣する。地域枠出身の医師に10年近く残ってもらう地方が多く、多数の若手医師を効果的に配置するには、派遣先を一元的に調整する必要があるためだ。 
同省は全国約8800の病院を対象に、不足している医師数を調べている。結果をセンターに提供し、効果的な派遣に役立ててもらう。
また、センターは傘下の若手を長期的に育てるため、指導できる医師が多い病院に支援を求めたり、若手が仕事を休んで学会や研修に出席しやすいよう代わりの医師を確保したりすることも検討している。指導できる医師の養成にも力を入れる。
都道府県によるセンター直営や外部委託が想定されている。派遣とは別に、地域での就職を希望する医師を病院に紹介する事業も手がける。
医師不足は2004年に新卒医師に2年の臨床研修が義務づけられたのを機に深刻化した。様々な病気の患者を診療できて経験を積める都市部の総合病院が人気を集める一方、大学病院は敬遠され、周辺の病院に派遣していた医師を引き揚げて医師不足を招いた。(月舘彩子)



とんでもないことを次々とさらっと言われてて突っ込みどころに困るのですが、要は官製医局をつくりたいと判断して良さそうです。
しかし、これ、医師のキャリア形成を知っている人間がつくったとはとても思えないPlanです。

まず根本的に、地域枠出身者はこのセンターとやらに強制加入させられるのでしょうか?
法的に問題があると思わざるをえません。

そもそも法的な問題以前に、医師不足の病院に新卒医師を派遣するという発想がまともとは思えません。
まずそういうところには指導医が不足しています。他の病院だって、他病院に指導医クラス派遣できる余裕はありません。そんな余裕があれば地域医療は崩壊してません。はたして地域枠出身者に、まともな教育ができるのでしょうか?
また、そうした病院であれば、学会認定を得ていない事も容易に予想されます。
そういう病院を卒後10年間回らされた地域枠出身者は、その後、果たしてどんな医師になっているのでしょうか?どんな病院に就職できるのでしょうか?彼らは、次世代の地域枠出身者の指導医たり得る能力を得ているのでしょうか?
内科認定医もとれず、総合医としか名乗れない医師が量産される可能性も充分にあり得そうです。

また、この辺をクリアできたとしても、「一元的に管理」など不可能です。病院の人事権については、今でさえ古い隣の医大とその県の新設医大で摩擦とか発生しているのに、 さらに火元を増やすだけになりかねません。
地域枠出身者にどんなポストが用意されるのか、想像するだけでも恐ろしいです。



結論から言って、これは地域枠出身者をどこにも行けなくして死ぬまで飼い殺しにする制度としか私には思えません。
これは、地域枠の本来の目的に反する結果しか生まないでしょう。



そもそも、地域や大学にどうして医師がいなくなったかという根本原因解決せずに、強制労働でどうにかしようという発想が私には信じられませんが…
病院に人を増やしたいなら、過労死ライン余裕越えの労働時間とか、大学研修医の給与を実労働時間で時給換算すると、一般職のアルバイト並(助教でも看護師以下?)の給与という現実をどうにかする方が正道であり、それ以外の道はないと思うのですが…





アルバイトの平均時給額が上昇傾向、7カ月連続で前年同月比を上回る - 10/08/30 | 12:15
 求人情報サービス「an」を運営する株式会社インテリジェンスは、PCサイト、モバイルサイト、有料求人誌、フリーペーパーの掲載情報をもとに、毎月、アルバイト(人材派遣・接客を含む酒類提供職種を除く)の平均時給額を調査している。
2010年6月の調査結果は、以下のとおりとなった。 全国平均時給額は998円で、前月から8円のプラス。また、前年同月比では25円プラスとなり、7カ月連続で前年同月比を上回る結果だった。
 これらの結果について、「an」担当者はこう話す。
 「この数ヶ月は求人数も堅調。リーマンショック以降は、2009年6月まで10ヶ月連続で前年同月比が下回ることもあったが、景気回復に伴った基調の改善と言えるだろう」。

上位を占める三大都市圏、他エリアと格差
 全国をエリア別に比較すると、関東エリアが1,071円で最も高く、東海エリアが980円、関西エリア970円、北海道エリア816円、九州エリア813円、と続く。
 三大都市を擁する上位3エリアは、2008年1月以降、1000円前後を推移しており、関東エリアにおいては1000円以上をキープ、対前年増加率は全職種がプラスになった。一方、九州エリアと北海道エリアはやや低く、800円前後を推移している。

  医療・教育関連の強さが浮き彫りに
 職種別(事務系、販売系、フード系、サービス系、運輸職系、技能・労務系、専門職系、の7職種に分類)の比較では、2位の運輸職系1,042円、3位の事務系1,021円に差をつけ、専門職系が1,212円でトップだ。
 専門職系の中でも全国的に高額なのは、1位から順に、薬剤師(1,769円)、家庭教師(1,765円)、看護師(1,555円)、塾講師(1,445円)などで、「専門的知識に対しての評価はもちろん、ニーズの絶えない医療・教育の分野はやはり強い。」「an」担当者)。
 対前年増加率で見ると、販売系6.5%、運輸系6.2%、事務系5.3%が特に伸びており、全体の増額につながった。なお、営業系はサンプル数が一定に達していないことから、今回は調査対象外としている。
 今後も経済情勢をにらみながらの動きとなろうが、派遣法改正議論による影響なども注目される。
 (フリーライター:児玉磨由子=東洋経済HRオンライン)



どうやら、この調査結果には「ただし医師は除く」という注意書きが足りないようですね?(笑


とりあえず、地域枠に既に入っている方にはこれだけは言っておきます。
いざというときに奨学金を全額叩き返せるようにお金貯めておいた方がいいかも知れませんよ?

2010年8月22日日曜日

責任者不在の臓器移植法

このご時世に脳死移植反対を公言してる私ですが、中でも小児脳死移植に反対する理由として「少なくとも現時点では絶対に認められない道義的理由」として以前より指摘していた問題があります
それは、「そもそも虐待防止、早期発見、虐待児保護の国家的体制がない。また、一件の脳死ドナー候補がでるだけで、ただでさえ先進国最低クラスと絶対的にリソースが不足している小児三次救急が一時的に崩壊するのではないか?脳死移植は、小児救急を整備して脳死になる子どもを最小限にした上で議論されるべき問題ではないか?」ということです。
私がこのことを某所で指摘してから1年以上経って、法施行から一ヶ月経ちましたが、果たして今どんなことになっているでしょうか?
キャリアブレインの記事から抜粋させていただきましょう。

改正臓器移植法施行1か月(上) 医療現場になお不安

 改正臓器移植法の完全施行から1か月がたった。この間には、書面での意思表示がない男性2人(いずれも18歳以上)から臓器提供が実施されたが、提供者(ドナー)からの臓器提供を担う提供施設では、今も不安を抱えたままだ。(池島貴裕、田上優子、兼松昭夫)

■避けられない負担増
 脳死判定を行い、臓器の摘出手術を行う脳死下臓器提供施設の1つ、川崎市立川崎病院(神奈川県川崎市)。同病院で脳死判定を担当する野﨑博之・神経内科部長は、改正法に不安を感じている。最大の懸念が、脳死判定の見直しに伴う提供施設の負担増だ。
 脳死の判定は、▽深い昏睡(こんすい)▽瞳孔の散大と固定▽脳幹反射の消失▽平坦な脳波▽自発呼吸の停止-などが基準で、2回にわたって実施する。
 1回目と2回目の判定の間隔は「6時間以上」とされていたが、改正法で新たに臓器提供が認められた15歳未満のうち、6歳未満については「24時間以上」に延長された。6歳未満の小児では、脳死判定後も心臓が長期間動き続ける「長期脳死」になることが成人より多いためだが、判定が長引けば病院や担当医師への負担増は避けられない。
 「忙しいから対応できないでは通らない。やるしかない」と野﨑医師は話す。ただ、その胸中は複雑だ。
 01年に行った臓器提供では、金曜日の夜から脳死判定の作業が始まり、担当したスタッフらは搬出作業が終了した日曜日の正午近くまで対応に追われた。新たに認められた小児では、脳死判定時のスタッフの拘束時間が一層長くなる。脳死した小児の臓器を摘出する上では、虐待の有無の判定などの作業も加わる。さらに、遺族への手厚い対応も求められる。
 川崎市立川崎病院は、県内全域からの救急搬送を受け入れる三次救急医療機関。200人近い勤務医がいるが、脳死の判定に携わる脳外科などでは、今でも「ぎりぎりの労働環境」で勤務しているのが実情だ。
 今後、小児の脳死判定に対応する場合には、緊急手術を近隣の病院に任せることも検討せざるを得ないという。
 野﨑医師は「よほどスタッフがそろった病院でないと円滑な対応は厳しい。脳死判定に対応するために救急患者の受け入れをストップする病院が出るかも知れない」と話す。

 仮に病院側の対応が国のガイドラインから逸脱すれば批判の的になりかねず、これが提供施設の負担につながるという関係者も多い。
 日本医科大付属病院の横田裕行・高度救命救急センター部長は、「改正法では、判定に前後する虐待の有無の確認や遺族へのオプション提示のタイミングが、すべて厳格に決められている。提供病院の負担を軽減するため、現場の裁量を認めてほしい」と訴える。

( 2010年08月19日 18:55 キャリアブレイン )
改正臓器移植法施行1か月(下) 小児の臓器移植に壁
 ■虐待の確認 どこまで可能?

 改正法では、18歳未満の人が虐待を受けていたことが明らかになった場合には臓器提供を認めていない。虐待の有無を判定するため、提供施設は「虐待防止委員会」を設置し、虐待が疑われるケースは警察や児童相談所などに届け出なければならない。
 しかし、捜査に関するノウハウもない医師らによる虐待防止委員会が、虐待の有無を本当に判断できるのかを疑問視する声が多い。

 日本移植学会の寺岡慧理事長は、虐待の有無の確認が医療現場に委ねられたことで、「小児の移植は慎重にならざるを得ない。虐待防止委員会で止まってしまうのではないか」と危惧(きぐ)する。
 実際、日本脳神経外科学会が会員施設を対象に実施したアンケート調査では、「虐待への対応が不可能」などの理由から、小児の脳死判定や臓器提供の体制を「未整備」とする施設が回答した施設の7割以上占めた。

 日本移植学会が改正法の施行前に開いた記者会見で、阪大病院の福嶌教偉・移植医療部副部長は、「本来は警察が行うべき犯罪かどうかの見極めが医療者側に委ねられた。院内にそのための仕組みをつくるのは非常に大変」「虐待の有無の判断には、国レベルでの“お墨付き”に近い仕組みづくりが必要。病院の責任だけで確信を持って判断するのは難しい」などと困惑を隠さなかった。
( 2010年08月20日 16:35 キャリアブレイン ) 



キャリアブレインにしては見出しがイマイチなんですが、不安も壁もつくったのは国会です
しかも、これらの問題は法案成立以前から指摘されていたことです。
第一ですね、医師は虐待の「捜査のノウハウがない」のではなく、根本的に「そもそも捜査権限がない」ということを皆さん忘れていないでしょうか?

新法が法案となる以前からあちこちで既に指摘されていたリソースや虐待発見、情報公開と行った問題が、法案が成立して1年以上経っても放置されているのが現状なんですが、マスコミはこのことを垂れ流しはしても「じゃあどうする」って話は全くなしです
結局のところ、この新臓器移植法もマスコミの話題作りと政治家のゲームの一つでしかなかったと言うことでしょうか?


既に導火線に火はついてしまいました
このまま放置すれば、いつか、どこかで爆発するのは確実です
その時、いつもの医療過誤報道のようにまた病院や医師が生け贄になるのでしょうか?
そんなことになれば、その日が日本の移植医療の最後の日となるでしょう


日本の医師が、臓器移植になぜここまで徹底的に安全走行を求めるかというと、日本初の脳死移植におよそ考え得る限りの問題が凝縮されていたからです。
和田心臓移植事件という二度と繰り返されてはならない疑念があるからこそ、臓器移植には透明性と慎重さが重要なのです。
脳死というものは、一病院や、ましてや医師個人に背負えるものではないのです。


国が全ての責任を負うようにしない限り、日本で小児脳死移植は進みませんし、進めてはならないのです。

2010年8月15日日曜日

敢えて終戦の日に問う

もはやNHKですらまともに扱われない終戦の日ですが、植民地支配や核爆弾だけがあの戦争の非人道性ではありません。
先の大戦は、医学や軍事の名の下に人体実験が平然と行われ、現代の生命倫理の発端となったものである事は忘れてはならないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニュルンベルク綱領
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルシンキ宣言


今の時代のこの日本においてすら、脳死、病気腎移植、代理母、iPS細胞、延命治療と言った生命倫理上の問題があり、社会的議論ないままに現場でそれらが進められています。
人命とはなんであるのか、人体とはなんであるのか、医学はどこまで医療に踏み込むべきなのか、
それをもう一度考え直すべき時ではないでしょうか?



8/4号 「2.5人称の視点は、臨床の知」、柳田邦男氏
2010年08月04日 

「それまでの私は脳死を受け入れることに傾いていたが、脳死状態にある息子を目の前にした時、それを受け入れることができなかった。頭で考えていた死との相違をどう捉えていいのか、自分の中に“分裂状態”が生じた。それから、『生と死の人称性』を考えるようになった」
7月31日に開催された第42回日本医学教育学会大会の特別講演で、ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、「医学の急速な進展と対患者関係 - 2.5人称の視点の提言 - 」と題して講演しました。「2.5人称の視点」は柳田氏の造語で、「医師だけでなく、行政官、法律家などの専門家で、専門分化が進む中で、見落としがちな視点について話をする」と柳田氏は講演の趣旨を説明。
柳田氏は、医療者には『ガン回廊の朝』などの著書で有名ですが、ご子息の話は『犠牲(サクリファイス - わが息子・脳死の11日』として上梓しています。柳田氏は、その後、哲学者のウラジーミル・ジャンケレヴィッチの著書や、心理学者の河合隼雄氏との出会いを通じて、「生と死の人称性」についての考えを深めていき、講演スライドでは、以下のようにまとめています。

【生と死の人称性】
1.1人称の「生と死」
医療の選択、リビング・ウイル、人生の最終章の生き方
2.2人称の「生と死」
ケア、介護、グリーフワーク
3.3人称の「生と死」
専門的かかわり合い(医療行為)、距離を保つ(冷静、客観性)

医療者にとっては、患者さんの死は3人称。豊かな経験と専門性を発揮するためにも、「感情に流されず、冷静さが求められるが故に、時に科学主義、視野狭窄になる」とする柳田氏は、「『乾いた3人称』の視点から、『潤いのある2.5人称』の視点が求められる」と説きます。「2.5人称とは、足して2で割ったのではなく、3人称の立場を保ちながら、1人称、2人称の視点を併せ持つこと」(柳田氏)。
<略>
そのほか、柳田氏は、哲学者の中村雄二郎氏の著書『臨床の知とは何か』にも言及。「科学の知」と「臨床の知」には違いがあり、科学的は普遍性、論理性、客観性を重視し、研究の対象を客観化しますが、臨床で人間を見る際にはそれだけにとどまらず、個別性を大事にすることが大切で、そこに大事なものが隠されている、などと柳田氏は指摘。「2.5人称の視点は、臨床の知の一つの視点になる」(柳田氏)。
最後に柳田氏は、「専門家に求められるもの」として以下の4点を挙げ、特別講演を終えました。

専門家に求められるもの】
1.科学主義、制度化、標準化の「落とし穴」に気づく。
2.「生と死」の人称性を理解する。
3.人間が生きている個性豊かな物語に興味を抱く。
4.人間を愛する心で、その身になって考える。

2010年8月8日日曜日

疑わしきは提供せず

3週間ほど前に施行された改正臓器移植法ですが
小児からの臓器提供も可能になったハズですが、今のところまだ1件も行われていないのは何故でしょうか?
今回はそこのところにスポットを当てたいと思います

子ども提供で手続き断念複数 虐待有無の判断理由に

改正臓器移植法で可能になった15歳未満の子どもからの臓器提供について、家族に提供意思があっても移植に向けた手続きが断念される事例が同法が全面施行された7月17日以降、複数あったことが分かった。日本臓器移植ネットワーク西日本支部の移植コーディネーターが2日、高知県内の勉強会で明らかにした。
虐待を受けた18歳未満からの臓器提供はできないと定められているが、虐待の有無の判断は個々の病院内の虐待防止委員会に任せられている。
このコーディネーターは、詳しい状況は明らかにしていないが、虐待の疑いの有無を病院が判断し切れないことが原因という。
改正臓器移植法の全面施行後、子どもからの提供、移植に向けた手続きが断念された事例が明らかになったのは初めて。
臓器移植法の改正に当たっては、運用指針を検討する厚生労働省の委員会で、虐待を受けた子どもの扱いが焦点となった。だが、全国の提供病院では虐待を受けた子どもからの提供を防ぐための院内組織やマニュアル整備が進んでいない。また虐待を見逃さないため、医療機関や児童相談所、警察など多機関の連携体制の構築が不十分との指摘もある。
勉強会では、医師から「提供施設が虐待の判断をするのは負担が大きすぎる」との声も出た。
2010/08/03 01:00 【共同通信】


いきなり正にその通りで、私の言いたい事を要約してくれまくったような記事なんですがw、
どうやら、同日にこの記事の続きネタがあったようです
今回問題にしたいのはそっちの方です


厚労相「詳細把握し議論したい」 子どもの臓器提供断念で

脳死状態になった子どもからの臓器提供が可能となった7月の改正臓器移植法全面施行後に、虐待の疑いの有無が判断できないとして子どもからの提供に向けた手続きが断念される事例が複数あったことについて、長妻昭厚生労働相は3日の閣議後の記者会見で「どういう状況で医師がどう判断したか詳細を把握したい」と述べた。
医療機関や警察など関係機関の連携など、虐待された子どもからの臓器摘出を防ぐための体制づくりが遅れているとの指摘もあり、長妻厚労相は「(実態把握の上で)改善すべき点があるか省内でも議論していきたい」との考えを示した。
2日に事例を報告した日本臓器移植ネットワーク西日本支部(大阪市)の易平真由美主席コーディネーター代理の説明によると、生後15週間の子どもの両親から臓器提供の申し出があったが、虐待防止の観点などから判断ができず断念。また、3カ月の子どもが車から転落する事案については、母親が故意に投げたのではないとどう判断するのか難しいとして断念したという。
2010/08/03 13:31 【共同通信】



えーと、長妻大臣よ、
この改正法は、改善すべき点があるとかそういう次元ではなく、
何も決めない事を決めた法律
である事を知らないのか?

知ってて言ってるなら大したタヌキ寝入りだが、知らずに言ってるならただの阿呆だ

何で私がここまでぶち切れてるかというと、先日あった
「小児からの臓器提供に必要な施設体制」
とかなんかそんな感じのタイトルの医療機関向けの臓器移植ネットワークの講演会が原因である

私のいる大学病院は、まだ小児からの臓器提供はできない
何故かというと、その為に必須とされている虐待発見委員(仮)が組織されてないからである
なぜ組織されないかというと、その委員会にどんなメンバーを集めてどんな議論をすればいいのか、国が指針を示していないからだ
共同記事にもあるように、普通に考えれば他の医療機関や警察、学校、児童相談所との連携が必要なのだが、そんなものを1病院が作れるわけないのである
(つーか、理想を言うなら虐待発見と脳死判定はそれぞれ各県に1つ第三者委員を作るべきなのだが

で、当然ながらどんな虐待対策をすればいいかという質問がネットワークに殺到したわけだが、彼らの回答は非常に単純明快であった

「それらは全て、各病院の裁量に任されています」

つまり、どんなメンバー集めるかも、どんな議論するかも、各病院が勝手にやれというのだ


これには呆れるほかなく、そうなると、次はトラブった場合に誰が責任とるのかが問題になるが、これもまた素晴らしい官僚的答弁が待っていた


「非公式見解ですが、提供を決めたのは各病院という事になりますので、後はご想像の通りです」


普通ならこれでキレても十分許されるレベルだが、そこを抑えて別の手で行くのがチーム戦の素晴らしいところである
まぁ、単にこいつらに権利と責任の話をしても通じないとみんなが一瞬で悟っただけなんだけどさw
しょうがないから各論にいったら、これもまたとんでもない

今回の法改正で、本人が拒否を示していなければ、親族の判断で臓器提供できる事になったのだが、例外規定がある事は意外と知られていない
『知的障害などで拒否の意思を表明できないものは脳死の対象ではない』のである

で、当然ながら理系人間である医師は突っ込む
何を持って、『知的障害』と判断するのか
そして、この解答から地獄が始まった


「知的障害の定義はありません。そもそも、この文面は『拒否の意思を表明できない』がポイントですので。先生方が家族の話から判断して下さい」


なんと、なにをもって「拒否の意思を表明できない」とするのか、科学的な定義はないそうなw
(まぁ、れを言い出せば何を持って虐待というかがこの国でまだ定義されてないんだけどさwww)


そう言われれば、誰もが同じ疑問を持つ
小児や認知症患者は『拒否の意志を表明できない』のであるから、臓器提供の対象外になるのではないか?
さらに広義にとるなら、脳死者は拒否の意思を表明できないのだから、そもそも臓器提供者になり得ないというパラドックスをきたすのだがwww   


それに対する解答は、もう法律の精神を根本から否定するものであった

「矛盾は承知の上です」


呆れる意外に何ができようか?
恣意的に運用できる法律、矛盾した法律というのは、政情不安国の専売特許だ


つまり、あの講演の全てを要約するならば
「臓器を提供するのも、誰をドナーとするのかも、各病院が勝手にやれ。全て自己責任でな」
ということです


………誰か、こいつらに法治国家の意味を教えてやって下さい

脳死者は、社会的に死とされうる生物学的な生者です
これの権利を最大限守ろうとする事は、医師と法律家の唯一の共通点であると私は勝手に信じてますが、
この法律は、文系的にも理系的にもアウトでしょう

こんな法律で早々に小児からの臓器提供が始まらなかった事は、この国の医療機関に生命倫理と道徳がまだ生きている証だと胸をはるべき事だと、私は思います

2010年8月1日日曜日

医学部新設の現実性

現在医学部新設に手を上げている大学は3つありますが、日本医師会および既存の医学部はこれに反対しています。
その理由は、医学部新設時に現在一線の医師が引き抜かれて、医療崩壊地域が拡大するのではないかというものです。
これについてはネットでは反対意見の方が多いのですが、実際どんなものなのでしょうか?

医学部新設の最有力候補と思われる、民主党政権になってから突然存在感を増してる国際医療福祉大学の現有戦力をみてみますと、

総病床数211床(一般病床 146床、特定病床65床)
医師数 常勤75名 非常勤70名 うち指導医数54名
1日平均入院患者数 181名(2009年度)
1日平均外来患者数 725名(2009年度)
1日平均救急医療件数17.1件(2009年度)

となっています。
仮にも医学部附属病院で働く人間としては、これはいくら何でも少ないだろうと思いますので、同じ地域にあるJ大学附属病院を見てみましょう


病床数    1,130床
■ 医師数    679名(2010年4月1日現在)
■ 指導医数   372名(2010年4月1日現在)
■ 1日平均入院患者数    899名(2009年度) 
■ 1日平均外来患者数  2,649名(2009年度)
■ 救急患者数      23,209名(2009年度)→1日平均63.6名


ええと、正直言って、ここまで戦力差があるとは思ってもいませんでした…
指導医数なんて、6~7倍差があります。
病床数などから見るに、J大は予想以上に規模が大きそうなので、とある地域新設国立大学を見てみましょう


□病床数:612床
□医師数(医員を含む):262名
□ 1 日平均外来患者数:1,226名
□ 1 日平均入院患者数:499名


まぁ、新設国立大はこんなもんでしょう
現状の新設国立大と、国際医療福祉大学は1.5~2倍の人数差があると見ていいでしょう。
この戦力差から見るに、国際医療福祉大学が引き抜きをせずに現有戦力で教育可能な学生数は1学年60~70人というところでしょうか?
入院患者数で考えるなら20~30人程度になりますか?


その程度でしたら、現状の80医学部の定員を1人増やせばおつりが来ますね(笑
医学部1つ新設するのと、現状の医学部の定員を1人増やすのと、どちらが対応が容易であるかは考えるまでもないでしょう。

正直言って、医学部新設は話の大きさの割には、実質的な医師増員のインパクトは期待できないと見て良さそうです
また、これから新設される医学部は全て「私立大学」になりますので、既存の私大ですら授業料値下げする時代に1学年50~60人で収益が得られるのかという疑問も微妙についてきます。

では、新設医学部の1学年を100人にすればいいのか?となると、また話がとんでもない事になります
1日の入院患者数が181人では、患者の2人に1人以上はBSLの学生がつく事になります(笑
いうまでもなく、そんなことになれば現場の医師の教育の負担もえらいことになります
しかし、だからといって現存医学部と同等の医師数にするとなると、医師も100人増やさなければならなくなります(爆


ここまで来ると、すでに80も医学部があるのにこの上さらに新設する事は、本当に意味不明になってきます


では仮に新設され、指導医のヘッドハンティングがおきれば地域医療はどうなるでしょうか?
先に行われたロースクール新設では、優秀な先生のヘッドハンティングが行われ、既存の法学部が苦労したと聞いています。
戦争映画で、「前線での兵士の死は戦死だが、指揮官の死は全滅だ」という趣旨のセリフがありますが、指導医の引き抜きは「前線での指揮官の死」に匹敵します。
チームリーダーがいなくなれば、その診療部門そのものが病院から消えかねない事はこれまでのサボタージュ型医療崩壊で示されています。


どうやら、シミュレーションすればするほど、医学部新設は単純な話ではなさそうです。


少し、頭冷やそうか