2010年5月31日月曜日

チーム医療の壁 中編

この一週間、おかしいくらいに出産が固まって更新が遅れてしまいましたが、前回の続きに行きたいと思います

今回は「医師のためのチーム医療」を取り上げたいと思います。
わかりやすく言ってしまうと、主治医制ではなくチーム制(交替勤務制)の採用と言うことです。

主治医制ですと、一患者一医師ですので、24時間365日その患者に責任を負うことになってしまいます。
ドラマ的な医師患者関係としてはある意味理想ではありますが、医療システムの維持という観点から行くと、医師の疲弊という避けられない問題があります。


EUではオンコール含め週48時間勤務と決まってるそうですが(http://lohasmedical.jp/news/2009/09/08110500.php)、そうした労基法準拠の労働環境を確立するにはやはりこのチーム制の導入は避けては通れない関門です。
逆に、こうしたことができていないからこそ、日本のサボタージュ型勤務医不足が起きたと言えます。


何故日本で交替勤務制が広がらないかというと、やはり、一つには主治医制に固執する上級医師が(特に地方で)多いのが原因だと思います。
自己満足でされる分には結構だと思いますが、それを他の医師に強要していいものなのか。
核家族化と夫婦共働きが当たり前になった日本で、そうした労働形態が「比較的普通の人間が医師になる、これからの世代」に持続可能なものかどうかという検討は、是非一度されるべきだと思います。
オンコール抜きで過労死ラインを平気で超えているような今の医師の勤務態勢は、10年20年先を考えたシステムとはとても言えないでしょう。


そうした精神論と共に交替勤務制ができない原因として、病床数が多すぎることが上げられます。
異論もあることを承知の上でOECDの病床数比較のデータを出させていただきますが(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/01/dl/s0129-4c.pdf)、日本は医師数に対して病床数が多すぎるという点においては大方の意見は一致すると思います。
30床の病棟を5人で診ているのならまだチームを2つに分けることも可能でしょうが、これが3人しかいなければ、必然的に主治医制しか選択枝が存在しなくなってしまいます。


医師数というのは、単純にその地域にいる人数でカウントしてはいけないのです。同じ病棟に所属していることが戦力として重要なのです。

以前、冗談半分で崩壊病院にランチェスターの法則(http://ja.wikipedia.org/wiki/ランチェスターの法則)を適応してみたことがあるのですが、意外と面白いくらいに第二法則が当たってまして、やはり集約化は現代医療において重要な作戦であることが確認できました。
病院と病床数の整理は必須であると考えられます。


さらに問題なのは、技術的な問題です。交替勤務制を導入するには、誰がやってもある程度の質が維持できることが前提です。
言うまでもないことですが、知識・技術が一定以上でかつお互いの意識が共有されてない人間とはチームを組めません。
そのために医療の標準化、ガイドラインやパスの作成、カンファレンスの開催は必須でしょう。
しかし、今の日本では医療の標準化はまだ完成されていません。

また、情報や思考の共有化には電子カルテが強力な武器になり得るのですが、日本は規格が統一されていなかったり、医師が「他の医師が読むこと」を前提に書いていなかったりで、未だにメモ帳の電子化程度のものでしかないという問題もあります。
こういったところも標準化を徹底する必要があるでしょう。

2010年5月16日日曜日

チーム医療の壁 前編

「チーム医療」という言葉は、私が医学部受験生の頃からよく言われていました。
しかし、それから10年ほどたった現在でも、チーム医療が全国的に広まったという話は聞きません
果たしてこれは、何故なのでしょうか?


そもそも、「チーム医療」とはなんなのでしょうか?
まず、教科書的な定義をするならば、
「医師中心の医療体制を改め、患者を中心として各医療関係者が対等な関係で連携するもの」
というところでしょう。
また、近年医療崩壊対策として出される定義として
「一患者一主治医という医師個人に負担のかかる体制を改め、複数主治医制を導入するもの」
というものもあります。
極論すれば、「患者のためのチーム医療」「医師のためのチーム医療」があるということです。

今回は、この「患者のためのチーム医療」について考えたいと思います。


「患者のためのチーム医療」は、講演などではパターナリズムへの反省として語られることが多いように感じます。
確かに、医師と患者が1対1になることを避ければ、パターナリズムの危険性は減少するでしょう。
ですが、これは日本では明らかに絵に描いた餅以外の何ものでもありません。

まずは現実的な問題として、そもそもチームを組む相手がいないことがあります。
日本は海外に比べてコメディカルの数(医療従事者数)が少ないことはよく言われますが、数の問題以前にコメディカルの職種が少ないのです。
これに関しては、国が国家資格を増やしてくれることを願うしかありません。

また、病院の経済的な問題もあります。
診療報酬というのは、基本的に医師の医行為に対して支払われます。
つまり、1患者に関わる人数が増えれば増えるほど、人件費で病院が赤字になる危険があるのです。
同じ病名の患者でも、軽症を見る市中病院では黒字でも、重症を見る大学病院では真っ赤っかになるというのは実際にある話です。
また、私のいる病院でも各病棟にクラークが配置されましたが、クラークを配置することによる診療報酬の増額は、クラークの人件費分にもなってないということでした。

ただでさえ病院の7割が赤字の現状では、直接報酬に結びつかないどころか赤字源となりかねない医療従事者が増えるわけがありません。
せめて、人件費をペイできるくらいは診療報酬を上げてくれない限り、この問題が解決されるわけがありません。

さらにどうにもならないのが、法律的問題です。
法律的には医師以外の医療者は、医師のサポート役として設定されているのです。
先ほど、私は診療報酬は医師の医行為に対して支払われるものだといいましたが、それもこういう背景があるからです。
医行為を行う看護師としてナースプラクティショナー(NP)が検討されていますが、NPですらその責任は医師が負うことが前提となっています。
法的に最終責任を医師が負うことになっていては、「対等なチーム」など生まれようはずもありません。
チーム医療を推進するためには、行為の分散化と共に、責任の分担も必要なはずです。


こうした、国の政策の問題が解決されない限り、どれだけ理想論を語っても、日本で「患者のためのチーム医療」ができるはずもありません。
それどころか、現状でむやみにチームを形成する職種を増やせば、勤務医の負担が増大するばかりとなり、かえって患者の不利益になる可能性すらあるのです。

2010年5月9日日曜日

医師の労働力

私が医療について話をするとき、結局何が言いたいのかがわかりにくいと言われることがあります
ですが、私が医療改革について話をするときに関しては、そのテーマはただ一つです
「一般的な人間の精神でできる医療体制をつくらなくてはならない」
といっているだけです

その理由についてはいくつかあるのですが、今回は単純な算数で、極めて現実的な危機を説明したいと思います

これは、本当に医療体制の根管に関わる問題です
しかし、そのことに気づいている人は、この国ではまだ極めて限られているようです
何故なら、研究者や官僚といった人たちは、医師のことは調べていても医学生のことは調べていないからです
そのことによって、対策が6年も遅れてしまうということに気づいている人は、何故かあまりいないようです

私が医学部に入学したその時は、まだ医師過剰論が国民的な常識で、医学部定員は減らされていました。
その時と現在では、1学年の人口が3割ほど違うようです。
これだけ聞くと、医師不足はなんの問題もなく時間が解消してくれると思う方も多いでしょう。
しかし、この間に女子の割合も激増しているのです


女性医師の労働力は、体力や育児休業を考えて欧米では0.8前後でカウントされるようです
一方、日本はずっと男性と同じ1とカウントしていました
これまでは女性医師は少なかったので、誤差は大したものではなかったと思いますが、これからはそうはいきません
舛添前大臣は、日本の現状は女性医師を0.5とカウントするべきかも知れないと言われていたので、それに倣ってみたいと思います


私が入学したときの人数を100としましょう。
私の学年の男女比は8:2だったので、労働力は
80×1+20×0.5=90です

一方、今の学生の人数は130となります
問題は男女比ですが、女子は4~5割というところでしょうか?
仮に半々としますと、労働力は
65×1+65×0.5=97.5です


おや?医学部生は3割も増えたのに、医師の労働力は1割も増えてませんね?
実際には厚労省が国試合格者数を3割も増やしてくれるとは思えないので、
「医学部定員は増やした。しかし、医師の労働力は改善されなかった」
という問題が発生しうることは容易に想像できます
しかも、総数としての労働力は変わらず人数だけ増えているので、実際に人事を預かる現場は今以上の混乱に巻き込まれるでしょう
 

この予測された未来を学会として真っ先に予言したのは、産婦人科です




病院出産、10年後に20%減 産婦人科医会が推計

 病院勤務の産科医の就労環境を改善しなければ、10年後に病院(20床以上)で扱える出産数は、2009年の約54万件から約20%減る可能性があるとの推計を、日本産婦人科医会常務理事の中井章人・日本医科大教授がまとめた。
 女性医師が子育てなどのために、労働環境が過酷な出産診療から離れると予測されるのが理由で、中井教授は「(環境の)迅速な改善が必要」としている。
<略>
2010/04/22 18:20  共同通信


言うまでもありませんが、医学部に女子がこれだけ増えている以上、これは産婦人科だけに起きる問題ではありません
全ての医療機関、特に大学病院など高度医療部門が危機にさらされていると考えて手を打つべきです


勘違いされると困るので言っておきますが、別にこれは男尊女卑とか、女性医師厚遇とかそんな問題ではありません
私が知っているだけでも、非医療者と結婚した3人の男性医師が、
「大学病院辞めますか?それとも家族止めますか?」
という決断を迫られて大学病院辞めて、今は充実したQOMLを満喫されているようです
過労死ラインを楽勝で超えるような医師の非常識な過労は、男性なら耐えられるとか、もはやそういう次元ではないのです


この状況を打開するには、「全ての医師が家庭を持ち、子育てできる環境をつくる」以外にありません


仮に男性医師の労働力を0.9、女性医師を0.7とできれば、今の医学生が医師となったときの労働力は
65×0.9+65×0.7=104
となり、今よりも労働力を2割ほど増やすことができます

そうした環境をつくる為には、医師よりも労働単価が安く、養成が比較的容易なコメディカルを早急に創設・育成する必要があるでしょう



しかし、そこには日本でチーム医療が未だに広まらないという問題が壁となって立ちはだかります

2010年5月2日日曜日

医学という宗教の終わり、医療というシステムのはじまり

医療とは、そもそもなんなのだろうか? 


そのはじまりは、おそらくは
「苦しむ隣人を救いたい」 
という、純粋な祈りの一つだったのだろう


そして、原始宗教から魔術が生まれ、科学へと発展したように、
その祈りは、経験則から医学へと発展した



しかし一方で、ヨーロッパにおいては宗教が医学の発展を阻害した
解剖学の誕生は13世紀までかかり、紀元前4世紀のヒポクラテスの誓いが医師のあるべき姿として復活したのは19世紀であった
書物や遺跡から推定される紀元前の医学は、決して教会の支配下にあるヨーロッパに劣るものではなかった


しかし、それ以上の災厄があった
宗教は医学と医療を切り離してしまった
政治的に医学を消滅するわけにはいかなかったが、魂は宗教の専売特許でなければならなかった


さらに、江戸末期から明治時代にかけて、日本は医学だけでなくこうした医学上の哲学まで輸入してしまった
この背景には、当時の政府の高度な政治判断があったことが明らかにされている


そうして、 医師は政治家もしくは医学者となり、人体を対象とすることとなった

「苦しむ人を救いたい」という願いは、どこかへ行ってしまった


それでも、20世紀はよかった
20世紀の医学の発展は、人体を救うことが人間を救うことになっていたからだ
また、魂の問題には各宗教が対応していた
もっとも、その多くは「看取り」であっただろうが…


しかし、20世紀末に、話は変わってきた




抗生物質によって撲滅できると思われた感染症は、HIVやMRSA、SARSの登場により永遠に共存しなければならない相手であると思い知らされることとなった
遺伝子解析と生物製剤の発展により対抗できると思われた悪性腫瘍も、ヒトゲノムを解析しても人間のことは解析できなかったという絶望的な結末と、治療薬の高額化という大きな壁が立ちはだかった
人工臓器や再生医療の開発は予想以上の困難を極め、未だに人の死を前提とする移植が世界的に広がっている


21世紀に入り、人間は人間のことを理解できていないという当たり前の結末が、医学の限界が、
医学は医療ではなかった
ということを、露呈させた

医学の研究者が減少しているのは、そうした背景もあるのだろう
そして、医師の医療観が崩壊し、世界の医療界にバーンアウト症候群が広がった



また、患者側にも大きな変化があった
人命を尊重しすぎたために個人の人生観がないがしろにされたことに患者が拒絶反応をおこし、1980年頃に患者の権利が主張されだした
(日本では患者の権利宣言は制定されておらず、その間に行きすぎた権利を主張するモンスターペイシェント問題が先行し、難航している)
さらに宗教離れが進み、医療者は魂の問題にまで対応を求められることになった


この数十年の間に、これだけのパラダイムシフトがあったことに、この国でどれだけの人が気づいているのだろうか?


こうした中で、先進国では医療崩壊が広がった
アメリカは医療を契約ビジネスとし、ヨーロッパは福祉として制限された医療を行うこととなった
欧米は、医療をシステム化することで、医療者個人への負担を軽減するという生き残り策をとったのである
時代の変化に合わせて、医療もその姿を変えたのである

一方で、医師の個人的使命感に頼り切り、物理的に限界ギリギリで運用されていた日本の医療体制は、なんの対策もとられず、あっさりとその限界を超えた
医療体制の再構築、労働環境の整備といった対症療法は確かに重要である
しかし、


「日本の医療とはなんなのか」 


という問題に明確な解を政治として出さない限り、 日本の医療が再生することはあり得ないだろう


また、私たち医師も向かい合わねばならない問題がある
人間は死ぬ生き物であるということが再確認された現代において、医師は迷走し、その結果として医療が崩壊していることもまた事実である


「医師は、人間の何を救うのか」


という命題に解を出さなければならないのではないか?