2010年7月25日日曜日

病と共に生きるという事

病院というのはどういうところですか?
と聞くと、恐らく10人中9人以上は「病気を治すところです」と答えるでしょう。

いわゆる患者のほとんどはそれでいいんでしょうが、では、
「治らない病気」や「病気は治ったけど、健常者でもない状態」にある人をどうすればいいのか?
という問題に答えられる人はどれだけいるのでしょうか?


以前、ある慢性疾患の患者さんが
「病院に来ると、病人になる気がする」
といわれた事があります。
とんでもない名言だと私は思います

徐々に進行する慢性疾患なんかの人はよく似たような事を言いますね
本人にとっては、それは当たり前だから、自分が異常である事に気づかない
では、そこで「お前は病人だ」とラベリングする以上のものを、その人のこれまでの生活と、これからの人生観を破壊した先のものを、ちゃんと責任もって渡してやれるのか?
っていうのは、長寿化するこれからの医療に、大きな問題としてのしかかってくると思います


また、がん患者においては治療後の問題もあります
国は「がん征圧」とか言ってますけど、そんな簡単な相手なら誰も苦労してないわけで…

小児がんにおいて、治療の副作用による危険性の上昇は指摘されていましたが、
「英国で1940-1991年にがんと診断され5年生存した17,891人を2006年末まで最長66年間追跡したところ、その後の死亡率は診断後5-14年は28.5倍、15-24年は6.8倍、25-34年は4.9倍、35-44年は3.2倍、45年以上は3.1倍」
という論文が先日発表されました。
原因は14年以内は再発・転移が多いですが、以降は主に二次がんと循環器系ということなので、抗がん剤と放射線療法の予想された副作用ではあります。
調査対象は抗がん剤や放射線を大量に使ってた時代の元患者が多いので、今の治療を受けている子たちはここまでではないはずですが、それでも有意な差はあると思います。

患者会の方が
「小児がんは死ぬのも地獄、生き残るのも地獄」
と言っていたのが、その数字には表れない重さを明確に示しています。
そして、長期予後が改善した成人のがんにおいても遠からず同じ問題が来る事が来る事は、容易に想像できる未来です


「医師は聖職」なんてほとんどブラックジョークの類ですが、こういった分野に至ってはそういう能力も必要とされる時代が再び来ているのかも知れません
もっとも、今の日本の医師にそんなのを求めるのは物理的に不可能なので、そういう異業種の血をいかにうまく取り入れていくかが、これからの病院に求められる能力かも知れません


お国は病院周辺の医療分野をビジネスマーケットとして見ているようですが、
私には、それはハゲタカが増えただけにしか見えません

2010年7月19日月曜日

Quality of Death

共同が変な訳をしたおかげで、某医師専門掲示板で変に炎上してしまったイギリス初の調査結果(http://www.eiuresources.com/mediadir/default.asp?PR=2010071401)をAFPから抜粋したいと思います


死に場所なら英国が一番、英調査
2010年07月15日 18:00 発信地:ロンドン/英国

【7月15日 AFP】死を迎えるのに最適な国は英国――英誌「エコノミスト(Economist)」の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(Economist Intelligence Unit、EIU)」が14日、このような調査結果を発表した。
 EIUは、経済協力開発機構(OECD)加盟30か国とその他10か国の医師・専門家などを対象に、終末期医療に対する国民意識、トレーニングの有無、鎮痛剤の使用状況、医者・患者間のコミュニケーションの透明性などを基準とし、「クオリティー・オブ・デス(QOD、死の質)」を評価した。
 英国は、政府による終末期医療サポートや、ホスピス間のネットワークが充実している点が評価され、40か国中トップに立った。2位にはオーストラリア、3位にはニュージーランドがランクイン。アイルランド、ドイツ、米国、カナダもトップ10入りした。
 デンマーク22位、フィンランド28位など、富裕国とされる国の複数がランキング下位20位と低評価を受けたほか、ワースト10にはポルトガル、韓国、ロシアが入った。最下位はインドだった。

■富裕国での終末期医療整備が急務
 EIUは、「最先端の医療システムを有する富裕国」でも医療制度に終末期医療を組み込んでいない国が多いと指摘。人の寿命が延び、高齢者が増え続けるなか、こうした国々で終末期医療の需要が急激に高まるとの見通しを示した。
 また、緩和医療は病院だけで行われるべきものではないこと、自宅での死を選ぶ人が多いことを挙げ、自宅介護士の育成を強化するよう薦めている。(c)AFP/Charlotte Turner


この調査結果の日本における分析については、シンガポール版の分析が参考になります。


「死の質」ランキング低いアジア諸国、日本は40か国中23位
2010年07月16日 08:44 発信地:シンガポール

【7月16日 AFP】アジアでは全般的に生活水準が向上しているにもかかわらず、死を迎える人に対し、適切なケアが提供されていないと指摘する報告が14日発表された。
 英誌「エコノミスト(Economist)」の調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(Economist Intelligence Unit、EIU)によると、世界的に高齢化が進む中、終末期ケアや終末期医療の充実は、各国政府や機関などに求められる急務となっている。
 しかし、シンガポールの慈善団体リーエン・ファンデーション(Lien Foundation)の調査に基づき、死を迎える人に施されるケアの質を評価した「クオリティー・オブ・デス(QOD、死の質)」インデックスで、アジア各国の順位は低い。

■死の質1位は英国、日本は23位
 比較された40か国中の最下位はインド。下位10位には中国、マレーシア、韓国が並んでいる。経済大国の日本も、台湾14位、シンガポール18位にも劣る23位にしかランクインできていない。
 一方、トップは「ゆりかごから墓場まで」の英国。2位以下はオーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、ベルギー、オーストリア、オランダ、ドイツ、カナダ、米国と続く。
 報告書は「クオリティ・オブ・ライフという言葉は広まったが、クオリティ・オブ・デスは別問題。医療政策に緩和ケアを組み込んでいる国は、最先端の医療システムを要する富裕国を含めてほとんどない」と批判している。また「緩和ケアおよび終末ケアに特化した施設」が国の医療制度の一部になっていない点や、ドラッグの違法取引や医療従事者への訓練不足が足かせとなって、世界的に鎮痛剤が適切に行き届いていない点が指摘された。
 さらに文化的側面として、死に対する認識やタブーが、緩和ケアの障害になっている点も挙げられた。

■緩和ケア必要な患者は年1億人、受けているのはわずか8%
 世界で65歳以上人口は2030年までに8人に1人、合計で10億人に達する。毎年、緩和ケアを必要とする患者は1億人を超えるが、実際にそうしたサポートを受けることができているのはそのうち8%に満たないというデータも報告では引用している。
 医療の発達とともに先進国ほど寿命は延びたものの、少子化と相まって高齢化も進み、また疾患を抱えて長生きするという新たな難題に終末ケアの現場は直面している。(c)AFP/Martin Abbugao


一言で言って、これでもかっていうほど全く反論できませんね
死に対する認識やタブーってってのは、日本だと病院の方にも重大な問題があるように感じます 
 
医療崩壊が叫ばれてからQOLという単語すら死語になりつつある日本の医療現場ですが、QODにいたっては言うまでもありません。
まぁ、死を生と対立するものととらえるか、生の最終段階ととるかは議論の余地がありますが、
そもそも、そんな「死にゆく人をどうするか」という概念が認知されてない現状では、この調査に何言っても反論にはなってません。

とはいえ、この原因については、日本に関しては歴史的な影響ってあると思うんですよね…
欧米では医療もキリスト教の影響下にあったわけですし、ホスピスなんてのはもろに教会の仕事だったわけです。
そんなわけで、治療期と終末期の壁って言うのはほとんどないと思われます。
また、国民の方もDeath Educationが日本よりはるかにできてますから、心理的抵抗が少ないのでしょう。

ところが、日本では治療期と終末期は隔絶しています。
患者が死亡する確率の高い高度医療機関においてすら、スタッフに終末期や「その後」のグリーフケアについてまともな知識がありません。
本来であれば、終末期専門のコメディカルなどが常駐しているのが望ましいのでしょうが、
在宅にするにしても、比較的健康な人の介護すらまともに回っていない状況で、終末期など夢のまた夢です

超高齢化社会の日本では、あと10~20年もすればまずは地方で、さらに10年ほどして次はベッドタウンで、間違いなく死のラッシュが始まります
その時まで、医療機関はノーガード戦法をとり続けるつもりでしょうか?
恐らくは、5年以内に動かないと、手遅れになり現場は混乱すると思われます

まぁ変な話、慢性疾患については、これから激増するターミナル患者と共に医療者が学んでいくって言うのはある程度期待できると思いますので、それなりにどうにかなるかも知れません
でも、そんな悠長なことを言ってられない現場があります
それは、脳死です

とうとう、改正臓器移植法が施行されました
もう、家族の同意だけで脳死が人の死となります


臓器提供というとレシピエントのQOLばかりが注目されますが、
私たちが本当に向き合わなければいけないのは、ドナーのQODと、その家族のこれからのQOLではないのでしょうか?


小児においては、医療機関が対応不能とはっきり言うところも出てきています
一方、成人の方はそういう話は聞きませんが、全ての施設が改正臓器移植法に対応できているなどとはとうてい思えません
だというのに、国の方はもうヤリ逃げ状態です


脳死移植32例の検証宙に浮く 国の検討会“休眠状態”

 脳死移植が適正に行われたかどうかを調べる厚生労働省の「検証会議」(座長・藤原研司横浜労災病院名誉院長)が昨年3月から1年以上開かれておらず、2007年5月以降に国内で実施された計32例の検証作業が宙に浮いていることが17日、分かった。このうち2例は臓器提供日から3年以上放置されている。
 厚労省の臓器移植対策室は「改正臓器移植法施行に伴う準備で忙しいため」と説明、当面は開催する予定もないとしている。会議の委員からは早期再開を求める声が上がっており、移植医療に詳しい生命倫理学者は「脳死移植をめぐる手続きの透明性が損なわれている」と指摘している。
 臓器提供の大幅増を目指す改正移植法が17日に全面施行され、15歳未満の子どもからの臓器提供も可能となったが、移植医療の信頼確保に向けた国の姿勢があらためて問われそうだ。
 厚労省によると、国内でこれまでに法的脳死と判定されたのは87例(うち1例は臓器提供に至らず)で、55例目まではすでに検証が行われた。このうち金沢大病院(金沢市)で行われた46例目の検証では、同病院が脳死判定時の脳波検査の記録を紛失したことが明らかになった。
2010/07/18 02:04 【共同通信】


医療現場の対応能力を無視した法改正のツケは、必ず出てきます
遠からず、脳死判定から逃散する施設も出てくるかも知れません

国や病院がアテにできないなら、医療者は自分で自分の身を守るしかありません
患者もいつか必ず死ぬ。そういう前提に立った上で自分とスタッフと患者を守る手段を模索する時代が、もう来ていると思います
その上で、現場から問題を発信する必要があるかと思われます

2010年7月10日土曜日

誰が子どもの守護者であるか

今回は、改正臓器移植法施行が迫る小児脳死について取り上げたいと思います
先日、このような記事が流れました


子ども提供、施行時は13% 体制整備に大きな遅れ 拒否の有無確認に課題も 全国の病院アンケート 【1】 2010年7月8日 提供:共同通信社 
 
 本人意思が不明でも、15歳未満を含め家族の承諾で脳死での臓器提供が可能となる改正臓器移植法が17日に施行される時点で、子どもの提供に対応できる病院は13%、「年内に可能」を合わせても28%にとどまることが、全国の提供病院への共同通信社のアンケートで7日、分かった。 改正法は昨年7月に成立したが、運用指針が決まったのは6月下旬で、各病院にはこれから説明するなど、厚生労働省の対応が遅れ、医療現場の体制が整っていない実態が明らかになった。
 本人が提供を拒否していなかったかどうかは、運用指針で家族への聞き取りなどによって確認すると定めているが「不十分」との回答が21%。「本人と家族の関係にもいろいろある」などの指摘が多かった。
 調査は、日本臓器移植ネットワークが昨年4月現在で施設名を公表している提供病院と、新たに加わる小児専門病院を合わせた337病院が対象。233病院(69%)から回答を得た。

 臓器提供への対応について回答した226病院のうち、「年齢にかかわらず対応できる」「大人はできないが、子どもはできる」を合わせると、85病院(38%)が子どもの提供に対応できるとした。だが時期は「改正法施行時」が29病院(13%)、「年内」が35病院(15%)で、年明け以降との回答もあった。「大人には対応できるが子どもはできない」は131病院(58%)、いずれも対応できないは10病院だった。
 233病院のうち、提供意思の確認は「救命不能と判断した段階で、その後の治療方針を説明する中で、一つの選択肢として提示する」が52%、「家族からの申し出がない限り、特に対応しない」が28%。「掲示物を検討」との回答もあった。
 虐待を受けた子どもからの臓器提供を防ぐための院内組織やマニュアルは30%が「準備した」と答えたが、43%は準備を進めていない。6歳未満の脳死判定は、48%は「自施設で可能」、20%は「他施設からの応援があれば可能」と回答した。

※臓器提供病院
 臓器移植法の運用指針で脳死者から臓器提供できると規定された病院。大学病院、日本救急医学会の指導医指定施設、日本脳神経外科学会の専門医訓練施設(A項)、救命救急センターの従来の4類型に、新たに小児専門病院など日本小児総合医療施設協議会の会員施設が加わり5類型になる。脳死判定ができ、倫理委員会で承認していることなどが条件で、18歳未満から提供する場合は、虐待を受けた子どもを提供者としないために、院内組織や対応マニュアルを整備する必要がある。

※改正臓器移植法

 脳死での臓器提供は15歳以上で本人の書面による意思表示が必要とする臓器移植法を改正、子どもを含め生前に拒否していなければ家族の承諾で提供できるようにした。昨年7月成立。提供拒否の意思は年齢に関係なく有効。本人が18歳未満の場合は、提供病院の委員会で虐待の疑いがないか確認し、疑いがあれば提供しない。脳死判定は2回の検査間隔が6歳以上は6時間以上、6歳未満は24時間以上。改正法のうち親や子、配偶者に優先提供できる規定は1月に施行、5月に初の適用例として夫から提供された角膜が妻へ移植された。

提供病院の負担減課題 【2】2010年7月8日 提供:共同通信社
 【解説】臓器移植法の改正は、国内で伸び悩む脳死移植の件数を増やす狙いだが、臓器提供を支える救急医療などの現場の負担は大きい。共同通信社のアンケートで提供に向けた医療現場の取り組みが十分進んでいないことが浮き彫りになったが、提供病院に体制整備を押しつけるだけでは問題は解決しない。
 移植医療を進めるには、国などが提供病院の負担軽減に向け、どのように支援するかが課題だ。
 アンケートで、中国地方のある医師は「臓器提供が進まない一番の理由は、現場の多くが提供にかかわることに積極的になれないからだ。臓器提供は、疲弊している救急現場にさらに追い打ちをかける」と断じた。
 この医師は「なぜ脳死判定を現場に委ねるのか」と疑問を投げ掛け、各地に専門の脳死判定チームを設置すれば提供病院の負担が大幅に減り、脳死判定の公正さや透明性も保たれると指摘した。
 日本臓器移植ネットワークのまとめでは、過去の脳死での提供で、主治医が患者を脳死状態と診断後、2回の法的脳死判定をして臓器が摘出されるまでの時間は平均40時間以上。
 2回の判定間隔を長くする6歳未満は60時間前後かかる計算で、虐待の有無に関する確認作業など、改正法で新たに増える負担も多い。このままでは臓器提供の増加は望めないばかりか、救急医療への大きな障害になりかねない。
  
虐待や家族対応に難しさ 第三者機関設置の提案も 【3】2010年7月8日 提供:共同通信社 
 
 改正臓器移植法で大きく変わるのは、15歳未満の臓器提供が可能になることだ。特に、これまで海外渡航しかなかった小さな子どもの心臓移植に道を開くことになるが、共同通信社のアンケートでは、子どもの提供は児童虐待や家族への対応が難しく、負担も大きいと考える病院が少なくなかった。
 虐待を受けた子どもからの提供を防ぐために設置が必要な院内組織について、中部地方の病院は「都道府県や地域ごとに設置すればよい」と提案。「第三者機関による公正な立場での話し合いができ、提供病院に精神的な負担を掛けることもない」と利点を挙げた。
 また「虐待への対応体制が医学的にも社会的にも低い日本の現状を早急に何とかすべきだ」(東北地方の病院)との危機感や、「虐待のチェックを提供病院に課すのは疑問」(関西地方の病院)との考えを示したり、「国レベルで専門家の支援システムが必要だ」とする指摘もあった。
 また子どもを失う家族は悲しみが大きく、臓器提供にはつながりにくいとの見方も強い。アンケートでは「家族の悲嘆が強く、脳死状態を受け入れることができないのでは」「家族は少しでも長くそばにいたいと思うことが多い。法律が変わっても臓器提供に同意する親はすぐには増えないと思う」などの回答があった。
 関西地方の病院は、提供に対応は可能としながらも「小児の死は家族は受け入れがたく、臓器提供は話しだしづらく、実施は困難」と、改正法に対応する医療現場の複雑な心境をうかがわせた。
 

明らかに医療現場を無視した、一方的な制度作成のツケを医療施設に押しつけられている形です。
虐待を受けた子どもからの臓器提供を防ぐための院内組織やマニュアルを自前でつくるなど、ただでさえギリギリの今の病院に、負担を増やすだけです。
また、「基準」が施設ごとに異なるというのは、許容される問題でしょうか?


一方で、こうした国の態度に明確にNoを示した施設も現れました。


歳未満、脳死判定せず 長野赤十字病院で方針  信濃毎日新聞 2010年7月8日(木)

 臓器移植法で臓器提供病院になっている長野赤十字病院(長野市)が、15歳未満を含めて家族の同意で臓器移植が可能になる改正法が17日に施行されても、6歳未満の子どもについては脳死判定を実施しない方針を固めたことが7日、分かった。厚生労働省が示している脳死判定ガイドラインでは「6歳未満の子どもに関して、きちんとした判定ができるのか疑問がある」と説明。同病院生命倫理委員会で正式決定する。
 信濃毎日新聞の取材に対し、斎藤隆史副院長(兼第1脳神経外科部長)が明らかにした。同病院の判断について厚生労働省は「病院の体制面の問題で判定を実施しないケースは多いが、ガイドラインへの疑問から6歳未満の脳死判定をやめる病院は聞いたことがない」(臓器移植対策室)としている。
改正法施行を目前にしても、子どもの脳死判定に対して現場の困惑が続いている実態がうかがえる。
 ガイドラインでは、6歳未満の子どもの脳死判定は自発呼吸がないことなどの確認を24時間空けて実施するよう定め、今年6月25日に公表した。同病院は斎藤副院長や複数の小児科医師らがガイドラインが適切かどうか検討した。
 斎藤副院長によると、脳死は頭蓋(ずがい)骨内の血圧が何らかの要因で高まって心臓から送り出される血圧を上回ることで脳に血液がめぐらなくなることで起きるが、斎藤副院長は「個人差はあるが、おおむね生後1年半ごろまでは頭蓋骨に『大泉門』と呼ばれるすき間があって、脳内の血圧が上がらない可能性がある。このため、実際に脳死が起こるのか疑問がある」と説明。
 さらに、小児の場合は脳死になっても長期間心臓が動き続ける「慢性脳死(長期脳死)」と呼ばれる状態になることがあるとし、「家族にとっては死ではないかもしれない。倫理面で議論が尽くされていない」と判断。「100%適切な判定基準だという結論には至らなかった」という。
 厚労省はこれに対し、「判定基準は約140例の症例を基に研究班を設けてつくった。見解の違い」と説明。ただ、「6歳未満を判定しなくても、臓器提供施設から外すことはない」としている。
 改正法への対応については、県内の6臓器提供施設のうち、諏訪赤十字(諏訪市)が「17日に向けて準備中」とする一方、信大(松本市)は「検討中」、昭和伊南総合(駒ケ根市)も「まだ決まっていない」としている。

大泉門の影響は私には判断できませんのでコメントは差し控えさせていただきますが、
長期脳死については脳死からの臓器提供が当たり前になった後に発覚した問題であり、欧米は意図的に目をそらしているようにも見えます。
現在、アメリカでは成人の脳死ガイドラインの改定中だそうですが、その脳死先進国のアメリカですら

95年にAANが発表した、脳死判定のための医学的基準を詳細に示した実践パラメーターが無効であることを示すエビデンスは見付からなかったが、一方で、現行の脳死判定基準がエビデンスベースであるとは言い難く、個々の脳死判定において臨床医に重要な判断が任されている現状があからさまになった。 

と発表したことは、脳死が一般に思われているほど整理されたものではないと言うことを示しています。
さらに、小児の脳の回復能力においても、十分な研究がされたかは疑問が残ります。

実際の「脳死患者」を見たことないと分からないと思いますが、「脳死」というのは半分言葉遊びです。
「機能的に死んでいる」というロジックをよく聞きますが、そうであるなら「心不全」は「心死」と言わなければなりません。肝不全や腎不全も以下同文です。
「脳死」は「法的には死亡」であっても「生物的には生存」しているのは決して否定できない事実なのです。
当人がそれは自分にとって死であると認めるなら、それもアリかも知れません。
しかし遺骨にすら人格を認める、世界的に特異な生命観を持つ日本で、 本人意志が不明瞭な小児の脳死をどうするか、あまりにも議論されなさ過ぎたと思います。

少なくとも、大学病院ですら「検討中」というのは非常に問題がある制度であると言えるのではないでしょうか?


特に問題なのは、虐待への対応です。
児童虐待の発見もまた一般に思われているほど整理されているわけではありません。

先日、院内で小児救急の講演がありましたが、病院での児童虐待の発見は初診から平均2週間かかるということでした。
脳死になってから短い時間で、しかも医療機関が単独で、どこまで確実に虐待死を発見できるのでしょうか?
どう考えても、医療機関の能力と権限を越えています。
医療機関、教育機関、児童相談所、警察、司法が連携する小児脳死の専門組織が必要でしょう。

「責任を持てない以上は脳死判定をしない」と表明することは、医療機関として責任ある態度であると私は考えます。
こうした「責任あるNo」を積み重ねることによって、日本流の小児移植医療はこれからできあがっていくでしょう 。


こういうことを言うと、では欧米ではどうしているのかという疑問も出てくるでしょう。
これについては、MRICから恐るべき記事が出ました。


Vol. 210 『ボストン便り』(14回目)「アメリカ社会と臓器移植」 
医療ガバナンス学会 (2010年6月16日 07:00) |
http://medg.jp/mt/2010/06/vol-210.html 
病死や事故や殺人、自殺に比べると数は少ないですが、アメリカでは幼児虐待の被害者も臓器ドナーになっています。1995年には49人、2000年には57人、2005年には68人、2007年には99人、2009年には105人の被虐待児が死体臓器ドナーとなっています。虐待によって死んだ子どものドナーの累計は697人です。アメリカでは18歳未満の子どもの場合、家族の承諾があれば臓器を提供することができます。
ちなみにアメリカでは子どもの虐待死自体も多く、2007年には1760人の子どもが虐待によって死亡しています。前回の「ボストン便り」では、子どもをひとりで留守番させただけで、アメリカではネグレクトという虐待と見なされると書きましたが、それは、死に至るほどひどい虐待が数多く行われている現状を改善するために、虐待の定義を厳しくしているのだと解釈されます。

正しくは、発覚した虐待死だけでこれだけの数があると言うことです。
これが、移植大国の現実です。
これを許容しているのがアメリカの社会であり、医療です。

虐待死からの移植は決して許さないと語る日本の小児医療は、悪なのでしょうか?
小児の心臓移植が欧米から遅れていることは、恥ずべき事なのでしょうか?

私たちが、社会が、こどもに継いでいくのは、命や金だけではありません。
そこには目に見えない文化や倫理、道徳というものもあります。

生命とは何なのか
人権とは何なのか
医療とは何なのか

医学や法律から離れて純粋に考え直さなければ、人類は取り返しのつかないところまで行ってしまうかも知れません。

2010年7月4日日曜日

混合診療の論点 後編

混合診療解禁の議論は、実は最近に始まったものではありません。
そのはじまりは、国民皆保険の実現と同時あったと言ってもいいくらい歴史の古い争いで、日本医師会が絶対反対を掲げるのもこうした50年近い歴史的な経緯があると考えていいかも知れません。

かつて、「喧嘩太郎」こと武見日本医師会長が保険医総辞退という今では(色んな意味で)考えられないことをやった理由の一つに、「制限診療」というものがありました。
私が生まれる20年前のことなので詳細は不明なのですが、医療費による国費圧迫を避けるために国が治療内容の上限を具体的に設定するというものだったそうです。(官僚のロジックは半世紀何も変わっていないようで…)
もし喧嘩太郎がいなければ、日本は少し前のイギリスのような、がんの手術半年待ちとか、医療を受けるためにアメリカにメディカルツーリズムするが当たり前の国であったかも知れません。

現在多くの医師や仙石内閣官房長官が考えているような、先進医療拡充型の混合診療解禁は、結果的にこの制限診療のバリエーションを招きかねません。
国民の半数が年収450万以下なのですが(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-2.html)、それでは地方で自由診療がまともにできるだけの需要が発生するとは思えません。必然的に施設も欧米並みに集約化されていくでしょう。
しかし、デパート業界が地方を中心に次々と撤退しているのをみれば分かるように、地域経済はそんな新たなサービス産業を興せるほどの余力がありません。
恐らく、先進医療を行う専門病院が一地方に一つ残ればマシな方でしょう。(実際、この保険診療下ですら採算がとれないということで北陸に小児病院は存在しない)
地方では先進医療は受けられなくなり、破産覚悟で東京や大阪にメディカルツーリズムに行くようになるだけという結末も想定されうるということは心にとめておく必要があります。


また、少し前では小泉政権下で混合診療解禁の話がありましたが長くなるので、それよりも何故か小泉政策を継承している民主党政権の混合診療解禁に話を移しましょう。
先の衆院選で、医師の多くは自民党から民主党に鞍替えしました。
その理由は、やはり保険医療を推進するというマニフェストに賭けたというのが大きいと思います。
(マニフェストに物申す! 民主党2010参院選正式版 http://firstpenguindoc.blogspot.com/2010/06/2010_20.html 参照)


ですが、あの事業仕分けで「風邪薬、ビタミン剤、湿布薬、漢方薬を保険適応外とする」という混合診療解禁が通りました
漢方薬については、もはや先端医療に欠かせないもので世界的にも注目されてる最中なので、猛烈な反対署名により撤回されましたが、他がどうなったのかは闇の中です。
ただ、こういう上ではなく下を切り落とすタイプの混合診療解禁もあると言うことは心にとめておく必要があります。

因みに、このタイプの混合診療解禁ですが、一見問題ないように見えて、実は一次予防と二次予防を放棄すると言うことなんです。
例えば、糖尿病の初期治療を自費にしてしまったら、誰も治療を受けず眼症や腎症が増加することは容易に想像できます。(中国では過去にこれをやらかしたことがあるらしいのですが…)
そこまでやらずとも、どうせ風邪だからと放置して、肺炎にまで進展して入院とか孤独死とかは平気で起こるでしょう。
風邪だと思って薬局で適当にやってたら、実は新型トリインフルエンザで気がついたら日本蔓延→今以上に世界へ感染症輸出国認定とか、それくらいは平気で起こりえます。
医療を集団防衛と考えるならば、これほどナンセンスな政策はないでしょう。

財務省は医療費を削るためならあの手この手で迫ってきます。


また、経産省は医療として連続体であるはずの治療以外の医療分野(予防、リハビリ、緩和ケアetc)を成長産業として保険医療から切り離してビジネス化しようともくろんでいます
http://www.meti.go.jp/press/20100630001/20100630001.html
(彼らのやろうとしていることは現行制度化でも十分可能なのであり、国民皆保険制度を否定するのは全くの筋違いとしか思えませんが…)

ある意味ではそれが彼らの存在意義であることは否定しませんが、彼らが隠している/見落としている問題点に気をつけねば、医療の目的そのものが失われかねません。


では、今の完全保険診療は万能かと言えばそうでもありません。
それは、現在医療が崩壊していることが何よりの証明です。
完全な保険診療を継続するのであれば、日本版FDA創設や、医師会や学会に全ての医師が加入し専門的・民主的組織に成長することが重要でしょう。



長々と書いてきましたが、混合診療は「どの様に個人に最高の医療を供給するのか」「どの様に広く国民に最善の医療を供給するのか」「先端科学である故に今後も増大が見込まれる医療費にどう対応するのか」という3次元的な議論であるはずなのです。
そして、これは医療政策のセントラルドグマをどこにおくかという視点から結果的に導かれる問題であるはずです。

しかし、今の混合診療議論は各論ばかりが議論されていて、根管となる総論部分が実は議論されてないのです。
私が前回「総論賛成、各論反対」という次元ではないと言ったのはそういうことです。
末節だけの議論はポイントがずれているばかりか、逆に医療を崩壊させかねません。
もし、混合診療について議論することがあるなら、各論に入る前に「あなたにとって医療とは何ですか」という総論部分が同意できているのかどうかを確認する必要があるのです。
その上で、Sustainability(持続可能性)という視点から議論するべきではないでしょうか。

現在と未来は連続体なのです。
両方を守らずして、片方だけを守ることなの不可能なのですから。