2010年7月4日日曜日

混合診療の論点 後編

混合診療解禁の議論は、実は最近に始まったものではありません。
そのはじまりは、国民皆保険の実現と同時あったと言ってもいいくらい歴史の古い争いで、日本医師会が絶対反対を掲げるのもこうした50年近い歴史的な経緯があると考えていいかも知れません。

かつて、「喧嘩太郎」こと武見日本医師会長が保険医総辞退という今では(色んな意味で)考えられないことをやった理由の一つに、「制限診療」というものがありました。
私が生まれる20年前のことなので詳細は不明なのですが、医療費による国費圧迫を避けるために国が治療内容の上限を具体的に設定するというものだったそうです。(官僚のロジックは半世紀何も変わっていないようで…)
もし喧嘩太郎がいなければ、日本は少し前のイギリスのような、がんの手術半年待ちとか、医療を受けるためにアメリカにメディカルツーリズムするが当たり前の国であったかも知れません。

現在多くの医師や仙石内閣官房長官が考えているような、先進医療拡充型の混合診療解禁は、結果的にこの制限診療のバリエーションを招きかねません。
国民の半数が年収450万以下なのですが(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-2.html)、それでは地方で自由診療がまともにできるだけの需要が発生するとは思えません。必然的に施設も欧米並みに集約化されていくでしょう。
しかし、デパート業界が地方を中心に次々と撤退しているのをみれば分かるように、地域経済はそんな新たなサービス産業を興せるほどの余力がありません。
恐らく、先進医療を行う専門病院が一地方に一つ残ればマシな方でしょう。(実際、この保険診療下ですら採算がとれないということで北陸に小児病院は存在しない)
地方では先進医療は受けられなくなり、破産覚悟で東京や大阪にメディカルツーリズムに行くようになるだけという結末も想定されうるということは心にとめておく必要があります。


また、少し前では小泉政権下で混合診療解禁の話がありましたが長くなるので、それよりも何故か小泉政策を継承している民主党政権の混合診療解禁に話を移しましょう。
先の衆院選で、医師の多くは自民党から民主党に鞍替えしました。
その理由は、やはり保険医療を推進するというマニフェストに賭けたというのが大きいと思います。
(マニフェストに物申す! 民主党2010参院選正式版 http://firstpenguindoc.blogspot.com/2010/06/2010_20.html 参照)


ですが、あの事業仕分けで「風邪薬、ビタミン剤、湿布薬、漢方薬を保険適応外とする」という混合診療解禁が通りました
漢方薬については、もはや先端医療に欠かせないもので世界的にも注目されてる最中なので、猛烈な反対署名により撤回されましたが、他がどうなったのかは闇の中です。
ただ、こういう上ではなく下を切り落とすタイプの混合診療解禁もあると言うことは心にとめておく必要があります。

因みに、このタイプの混合診療解禁ですが、一見問題ないように見えて、実は一次予防と二次予防を放棄すると言うことなんです。
例えば、糖尿病の初期治療を自費にしてしまったら、誰も治療を受けず眼症や腎症が増加することは容易に想像できます。(中国では過去にこれをやらかしたことがあるらしいのですが…)
そこまでやらずとも、どうせ風邪だからと放置して、肺炎にまで進展して入院とか孤独死とかは平気で起こるでしょう。
風邪だと思って薬局で適当にやってたら、実は新型トリインフルエンザで気がついたら日本蔓延→今以上に世界へ感染症輸出国認定とか、それくらいは平気で起こりえます。
医療を集団防衛と考えるならば、これほどナンセンスな政策はないでしょう。

財務省は医療費を削るためならあの手この手で迫ってきます。


また、経産省は医療として連続体であるはずの治療以外の医療分野(予防、リハビリ、緩和ケアetc)を成長産業として保険医療から切り離してビジネス化しようともくろんでいます
http://www.meti.go.jp/press/20100630001/20100630001.html
(彼らのやろうとしていることは現行制度化でも十分可能なのであり、国民皆保険制度を否定するのは全くの筋違いとしか思えませんが…)

ある意味ではそれが彼らの存在意義であることは否定しませんが、彼らが隠している/見落としている問題点に気をつけねば、医療の目的そのものが失われかねません。


では、今の完全保険診療は万能かと言えばそうでもありません。
それは、現在医療が崩壊していることが何よりの証明です。
完全な保険診療を継続するのであれば、日本版FDA創設や、医師会や学会に全ての医師が加入し専門的・民主的組織に成長することが重要でしょう。



長々と書いてきましたが、混合診療は「どの様に個人に最高の医療を供給するのか」「どの様に広く国民に最善の医療を供給するのか」「先端科学である故に今後も増大が見込まれる医療費にどう対応するのか」という3次元的な議論であるはずなのです。
そして、これは医療政策のセントラルドグマをどこにおくかという視点から結果的に導かれる問題であるはずです。

しかし、今の混合診療議論は各論ばかりが議論されていて、根管となる総論部分が実は議論されてないのです。
私が前回「総論賛成、各論反対」という次元ではないと言ったのはそういうことです。
末節だけの議論はポイントがずれているばかりか、逆に医療を崩壊させかねません。
もし、混合診療について議論することがあるなら、各論に入る前に「あなたにとって医療とは何ですか」という総論部分が同意できているのかどうかを確認する必要があるのです。
その上で、Sustainability(持続可能性)という視点から議論するべきではないでしょうか。

現在と未来は連続体なのです。
両方を守らずして、片方だけを守ることなの不可能なのですから。

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